モッツアレラチーズ2 佰弐拾弐

東京で2度目の春を迎えた。北東建設で働き始めてもう1年以上たつ。土工の仕事も1通り覚えているが分かっているわけではない。2年、3年と続けていれば分かってくるだろうが、飯場での暮らしには楽しみが読書と粗末な食べ物ぐらいしかない。読書と言えば、ここの寮暮しでドフトエフスキーの「罪と罰」、ロマン・ロランの「ジャン・クリストフ」などを読んだ。信心とは違ったものの見方が入ってきたような気がした。今の仕事を続けて一人前の土工になれたとしても所詮その日暮らしの身の上なので末は救世軍の世話になるなど明るい展望は開けない。東京で転職を考えたが、住所が飯場ではまともな勤め先に就職は難しいだろう。家からは再三帰京するように連絡がある。光の村を出てからもう1年以上たっているので高知に帰ってしばらく大人しくしていれば事なきを得るかもしれない。コツコツ小金を蓄えて、今は第一勧銀の赤い通帳の残高は80万を超えている。高知に帰ってもしばらくは暮らしていけるだろう。僕は高知に帰る考えが次第に強くなり、北東の寮の人にも引き留めるような声をかけてもらったが、結局高知に帰ることに決めた。ホンダスパーカブ49㏄を前に千葉ちゃんに最後の挨拶をした。「また来ます」。千葉ちゃんは「そういう奴に限って、もう来ねえんだよ!」と言った。ホンダスパーカブ49㏄のキックペダルをキックした。「ブロルオ、ルオ」と重厚な地響きを伴いエンジンがかかった。来た時とそう変わらない身なりで汚くなったフルフェイスのヘルメットを被り、エンジン全開フルスロットル。弾丸のようにカブは渋谷方面に通じる大通りに出た。渋谷から日本橋に出て、来た時とは逆に国道1号線を矢のように走った。カブは道路の左端を矢のように突き進んで次次と車に追い越されていく。1日目は着た時と同じように名古屋のビジネスホテルで1泊した。来た時のような凍えるような懐の寒さは微塵もない。高知への帰郷はバイクなら小1万あれば済む。翌日梅田新町で国道2号線に入り、岡山に向かった。岡山から宇野に向かう時はもう闇に包まれていた。宇野で高松行のフェリーに乗り客室で仮眠を取った。高松の港につき、港からほど近いJR高松駅にカブを駐車して駅の待合室で仮眠を取った。駅で讃岐のけつねうどんを食べて腹ごしらえをした。夜明けとともに国道32号線を高知市内へ向かってカブを走らせた。大杉、大歩危、小歩危と吉野川沿いの断崖絶壁を右に見乍らひた走った。時折大型ダンプなどが来ると風圧で煽られガードレールが火花を散らす。「おお!翼よ、あれがパリの灯だ!」とカブはほの暗い中に灯火の輝く高知の町に入った。岡豊から一宮、薊野、洞が島を通って永国寺の自宅に着いた。自宅の駐車場にカブを置いて玄関のドアを開けて、「ただいまー」と声をかけた。父が階上から降りて来て、「おかいりー!だれたろう!」と言った。

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