モッツアレラチーズ2 佰拾肆

冬も近い。栗の木には渡り鳥のタンチョウヅルが止まって、奇声を発している。不気味な雰囲気の中ホンダスーパーカブ49㏄にひょいと跨り、キックペダルを体重をかけて踏み込んだ。ブロルオ、ルオ、ウィン、ウィン、ハーレーのような重厚なエンジン音が響いた。クラッチを繋ぐとカブは稲妻のように道路を駆け抜けた。タコメーターを眺めると軽く30㌔は出ている。しばらく考え事をしながら走っているともう土佐市の光の村養護学校に着いていた。今日は少し出勤時間が遅く、職員の動線はすでに動いていた。運動場に出ると大石先生がトラックの線を引いていた。挨拶をすると先生は僕に「ちょっと頭かしてください!」と線の引き方の計算を尋ねた。大石先生はもうすぐ光の村の出先である秩父に行くことが決まっていると話していた。トラックの線を引き終わってから、跳び箱を出して来て生徒が運動をするのを補助した。参加している生徒が三笹君や普光江君といった年長の比較的しっかりした生徒だったので神経を使いすぎることもなく授業は終わった。運動が終わって、パン工場を覗くと有澤先生と生徒の松田さんが焼き上がったパンをトレイに乗せていた。特に手のいるようなこともなさそうだったので、教室で宮部先生と一緒に大谷君達の生活指導に当たった。昼食が済んでしばらくしてから僕の両親が西谷先生に呼ばれて光の村の訪問ということで来ていた。両親と一緒に西谷校長と且田先生と話をした。話の内容は入寮の話である。通勤時間がバイクで2時間以上かかる上に勤務時間が長くなりがちなこともあって疲労が重なることと光の村の中で生活すると生徒や職員との和に馴染むということであった。しかし、僕は昇華学会で活動をしており、ご本尊様の安置とかお勤めの事を考えると生活に大変なギャップがあると思った。両親の訪問は僕にとっては寝耳に水のような話だった。両親は僕が寮に入って職場結婚でもすれば儲けものだと思ったのか意外にも乗り気だった。僕は曖昧な返事に終始したが話は何となく入寮の方向へ動いていた。午後紙器工場で加藤君と一緒に紙箱のラベル張りをした。今日は早めに仕事が置けて、午後5時には家に帰れた。5時過ぎに中水道にある昇華学会の男子部長の玉木さん宅を訪問した。昇華学会の政党である公産党の竹入委員長が来高するとの話であった。僕も公産党に関わって58年の参院戦では平石磨作太郎候補の応援や60年の都議選の応援で玉木さんと一緒に東京に繰り出したことさえあったのである。玉木さんは腹の減っている僕に珍しく飴湯を出してくれた。

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