モッツアレラチーズ2 佰拾弐

栗の木は冬の風でざわざわと音を立てている。光の村での勤めももう1年近くなる。時折あるイベントの他は毎日それほど変わりのない生徒との日常生活である。時折あるイベントというのは夏の横浪スカイライン45㎞走破とか秋の室戸少年自然の家までの150㎞サイクリングなどである。光の村養護学校の生徒は知的な障害のある生徒が多いが毎日規律されて、体作りをしているのでイベントで生徒が落伍するということはなかった。横浪の45㎞走破では僕は途中暑さのために喉が渇いて水をがぶ飲みし、バテバテの状態になり、生徒がお昼にうまそうに弁当食べているのを尻目に必死の形相で弁当の飯を掻き込んでいた。「室戸少年自然の家」までの150㎞サイクリングでは隊列を組んで時折車道を走行するので注意力が散漫になって転倒をしたりすると危場面も多かったが、とにかく自分が注意を集中するのが精一杯ということも多々あった。僕はつい先頃まで紙器工場での事故で左の人差し指を怪我して朝倉にある「川村整形外科」に入院していた。事故原因は疲労であった。僕は通勤で働いているが通勤時間が往復2時間近くかかるし、朝もお勤めなどで6時前には起きているのでほとんど休みが取れないような状況で働いている。また、休みの日などは昇華学会の活動もあった。朝、紙器工場に入って、ステッチャーで紙箱を針で止めていたが疲れと眠気のために意識を失い指を機械で打ってしまった。出血が激しく指の先が裂けていたので紙器工場から出て、丁度居合わした調理の森田先生に事情を話して朝倉の川村整形外科へ車をチャーターしてもらった。川村整形で鬼頭元判事補に似た院長に指を縫い合わせてもらったが、術後入院するように言われた。入院はずるずると長引き結局3か月入院していた。入院中光の村の北野先生や追手前の時の同級の宮崎君が見舞いに来てくれた。北野先生先生は「災難やったね!」と缶コーヒーを手渡しながら声をかけてくれ、宮崎君は「これを食って元気を出せ!」と木のふねに入ったたこ焼きをくれた。それから昇華学会の男子部長の玉木さんは手ぶらで見舞いに来てくれた。魚屋にしては立派な服装をしていたので同じ病室の人が「あの人係長さん?」と声をかけた。退院後指はほぼ治ったが、指腹の縫い跡と爪の変形が残ってしまった。入院後も日は重なり、今日の仕事もいつもと変りなく進み、帰りしな秋の運動会に関する自分が書いた作文の載った文集を食堂で読んでから、北野先生に日報を渡そうと音楽室に行った。北野先生は身長が180㎝近くある体格のいい動物の目をした先生である。音楽室では物音がしていたが、入って行って驚いた。ピアノの前で幸次郎君が北野先生に重厚なびんたを食らっていたのである。ばしっ、ばしっとぶん殴られるたんびに幸次郎君はひゅー、ひゅー右へ左へと吹き飛んでいた。幸次郎君はごく小柄な浅黒いおっさんのような顔の20くらいの青年である。幸次郎君は捨てるべき食べ残しの食べ物を盗み食いしたかどで叱責されていた。幸次郎君は「すみましぇーん、すみましぇーん」と謝っていたが、お構いなくぶっ飛ばされていた。叩かれるたびに「ぶわしっ!ぶわしっ」とものすごい音がして迫力のあるシーンだった。僕は唖然としながら北野先生に小声で「にっぽーどぅえーす!」と日報を渡して、こそこそとその場を立ち去った。光の村の指導の厳しさの一面を見たが、余程の和がないとこうはできまいと思った。

 

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