モッツアレラチーズ2 佰肆

栗の木の在る庭には二羽、コウノトリがいる。「ガスライト」でのウェイターと「文殊塾」の講師のアルバイトの掛け持ちはかなり負担が重い。もともと、「病気が治らんうちは何をやってもダメ!」というのがお医者の意見なので、今なんとか仕事ができているのは信仰を基礎とする仕事への思い入れによるものに他ならない。殊に文殊塾の講師の仕事は瀬戸教室への通勤が大変だ。瀬戸教室は競馬場の近くなので桝形から東石立町、斎場、鷲羽トンネルを通って競馬場、瀬戸方面へと行く。ママチャリで軽く40~50分はかかる。しかも帰りは8時を回っているので真っ暗で道に迷う危険もたっぷりある。毎日が戦場と言っても過言ではない。今日はウエイターの仕事だけでなく塾の講師もある日だ。ママチャリで8:00前に「ガスライト」に着き、タイムレコーダーを押して仕事に就いた。10:00過ぎにどこかで見たことのある顔の人が入り口から入って来て、真っ直ぐ進み奥の席に座った。水を持っていくと3人席に来ている内の1人はテレビで見たことのあるスケーターの佐野稔だった。12:00を過ぎて昼休みは休憩室で母に作ってもらったドカベンを食べる。ドカベンというのは深いタッパに飯が押し付けるようにたくさん入っている弁当であるのでこういうのである。休憩室では先に津野さんがいて編み物をしていた。器用に手を動かしながら「ソータをあみゆう!」と僕に言った。津野さんは中年のちょっと太った眼鏡をかけたご婦人である。休憩を終えて午後の仕事に就いた。仕事中、注文の内容について客と一悶着あり店長が出てくる事態に発展したが、店長が平謝りに謝って事なきを得た。店長は後で僕を呼び、僕の勤務態度などについて2,3注意をした。店長の話の内容では表で仕事ができないなら裏に回ってもらうという感じだった。仕事を終えて3:00ごろ帰宅した。家でくつろいでいると玄関をノックする音が聞こえた。昇華学会男子部長の玉木さんであった。玉木さんは弘化台の魚屋なのでこんな時間に来れるのだろうと思った。家の玄関先で玉木部長は魚屋の仕事に関して魚群探知機の話を一頻りしてから月の瀬橋5分西入るの高知文化会館に僕を連れて行った。文化会館で佐竹圏男子部長に個人指導を受けた。僕は佐竹さんに「僕は毎日戦っているつもりなのですが・・・」というと、佐竹さんは「君は戦ったよ!」と言い、御書の「溺れる魚は餌にばかされて針を飲む」という御金言を引いて指導をしてくれた。高知文化会館から帰宅したが、5時過ぎには家を出て瀬戸の文殊塾に向かった「なんださか、こんなさか」の山道をママチャリで扱ぎ渡り瀬戸の競馬場に着いた。競馬場から文殊塾まで10分で着いた。授業の準備はテキストの大判見開きA3の解説と問題を人数分コピー機でコピーする。今日は6時から中学生の社会を教えた。教えたと言っても問題を解かして答え合わせをするだけである。途中解説に間違いがあって生徒に指摘された。「先生、一度失った信用を取り戻すのは大変ぜ!」と生徒は言った。中学生の授業の後小学生の授業を田坂宅の居間のようなところで見たが、小学生の小さい女の子などが組み付いたりしてきてほとんど授業にならなかった。帰り田坂塾長と少し話をして帰った。田坂さんは僕がママチャリが足なので車の話をした。最近世間では交通事故が多く、別けても追突事故に関して「むち打ちは一生病になるで!」と言っていた。

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