モッツアレラチーズ 伍拾陸

12月に入っておこたの恋しい季節になってきた。栗の木にはホオジロが2羽止まっている。今日も起床は10時過ぎ、昨日寝たのは午前3時近くだった。深夜まで起きているのは受験勉強のためだが、実際にはラジオの深夜放送を聞くために起きているようなものだ。文化放送でやっているので電波の強さの関係で高知では聞き取りにくい旺文社のラジオ講座は深夜というほどではないが、テキストを揃えて時々早稲田大学教授の西尾実の「実践英文法」などを聞いている。深夜放送ではニッポン放送のオールナイトニッポンで今仁哲男とかTBSのパックインミュージックの野沢那智あるいは文化放送のセイ!ヤングの落合恵子などのディスクジョッキーが話したり曲を掛けるのを聞いている。これらの深夜の番組を聞いているのは受験生や長距トラック運転手達である。獏組には受験生の投稿が多く、それぞれ違いはあってもやっていることは同じなので同じ曲を聴くだけでも共感できる部分はあるからである。階下に降りて浪人にふさわしい冷や飯を食う。渋茶が喉から胃の腑に浸みわたって朝食は終わった。今日は昨日市民図書館で小倉さんやひろ子ちゃんたちと話していた時事の成り行きで小倉さんと一緒に吉田町にあるスケートリンクにスケートをしに行くことになっている。そこで11:000までには小倉さんのお宅に誘いに伺わなければばならない。小倉さんの家は愛宕山の方にあった。自転車で20分ぐらいかかる。女性と一緒に出かけるのはこれが生まれて初めてのことだ。駅前の通りから愛宕に入り、通りを北に上った。2階建ての小さな庭の在る家だった。表札を見ると小倉さんのお父さんの名前がわかった。侍のような怖そうな名前で、声がかけづらいなとしばし思った。帰ろうか、いやいや折角来たんだし。お父さんが先に出て来てぶん殴られたらどうしよう。僕の格好はジーンズにピンクのシャツ、モスグリーンの厚手のセーターである。垂れ目の薄いブルーのサングラスを外してズボンのポケットに仕舞い、可愛く、「こにゃにゃちわ!小倉さーん!」と声を掛けた。お父さんが出てこないかと緊張で心臓が喉からせり出しそうになった。出てきたのは薄黄色いワンピースを着た小倉さんだった。「よかった!」と心臓が喉元から元に戻った。小倉さんと一緒に歩いて吉田町のスケートリンクまで行った。愛宕大橋を渡って、吉田町の前の道を一ツ橋町へ向けて歩いていると、暴力団風の男が向こうから歩いてきた。小倉さんと横並びになって、男の方を見ないで話しながら通り過ぎようとすとると男が「どこへいきよりゃあ!」と顎をしゃくった。今日は2度目。またまた心臓が喉からせり出しそうになりながら、緊張でカチカチになって「ス・スーケートリ・リンクでえす!」と答えた。小倉さんは無責任そうにニコニコ笑っていた。暴力団風の男は「かわいい子連れて、ボケとったらいかんぞ」と土をけって立ち去った。暴漢に襲われた場合、僕は小倉さんを守る義務があると思って、体を張って守らにゃあと身構えたが、事なきを得た。わなわなと震える体を平静を装うためにコントロールしながら、「なんちゃーなかってほっとしたねえ!」とまた一緒に歩きだした。吉田町のスケートリンクについて入り口のすぐ左にある靴の貸し出し料金所でスケート靴を借りて料金を支払った。僕はホッケー用の靴、小倉さんはフィギュア用の靴を借りた。スケートリンクに靴を履いて降りた。吐く息が白い。小倉さんと手を繋いで滑るのは技能の関係で無理である。それぞれ滑った。スケートをしたことは中学校の時から数回あった。スケート靴を平行にして立って、右へ、左へと重心を移動しながら滑っていく。小倉さんはこのレベルもできないのでヘリにしがみ付いたりしながら氷の上を歩いていた。僕もとても教えるレベルにはなく、コーナーワークとか靴を十字にして止まる練習をするのが精一杯であった。スケートを終えて2階の観覧席に行った。ガラス張りの観覧席からはスケートリンクが一望できるようになっていた。観覧席で小倉さんと一緒におでんを食べて、一息ついてから小倉さんを自転車に乗せて家まで送った。家に帰ると午後2:00を回っていた。食堂でざるの中に入ったふかし芋を食べて3階に上がった。障子をあけて弟の部屋を覗いたたが、弟はまだ帰っていなかった。弟の机の上に飾ってある尺八の金賞が5つかかっていた。弟はまだ志望校を決めていないようだがどこの大学へ行くのだろう。

お知らせ

遅いパソコンのスピードアップ!!

性能が低いHDDからSSHDやSSDに

ディスクのクローンで丸ごと引っ越し

OSの起動スピードが速くなる