モッツアレラチーズ2 伍拾

春よ来い!梅の木にはホーホケキョと鶯が鳴いている。朝げを済ませ、3階へ上がる。弟も父も出かけた。先日受験した早稲田大学法学部と、中央大学商学部の合格発表まで気が落ち着かない。受ける試はこの2校だけである。両校とも落ちる可能性は非常に高いが、最近は1年浪人するのが当たり前のような風潮になっているので左程のがけっぷち感はない。追手前高校は公立校なので私立校ほど授業のカリキュラムが大学受験に合わせて組まれていない。そこで、どうしても受験準備が遅れがちになり浪人して受験期間を延長する生徒が出てくるのである。僕が受験した大学は何れも東京都にあるので1回の上京で済み旅費や宿泊費用があまりかからなかった。受験は全て1人だった。宿泊は東京都の麹町にある「半蔵門会館」というビジネスホテルである。このビジネスホテルは弟の尺八の師匠である山﨑先生の紹介してもらった。山﨑先生のお兄さんが高知県警に勤めていて警察共済で予約して安く宿泊できるからであった。上京は高知駅から特急「南風」で高松まで行き、高松から岡山の宇野まで連絡船、宇野から岡山まで普通列車、岡山から東京まで新幹線「光」で行った。1人旅の不安はあまりなかったがもちろん自信もなかった。修学旅行で東京に1度行ったことがあったので何となくお上りさんなのであった。新幹線で隣に乗り合わせた中年の男性に「受験生ですか?」と聞かれたので、「そうです」と言うと、「気を付けなさいよ!東京は怖いところだからね!」と言われた。よほど頼りないお上りさんムードを漂わせていたのであろう。東京駅で新幹線から降りて、山手線を使って四ツ谷駅へ行った。四谷駅は修学旅行で来たことがあったのであまり不安もなかった。四ツ谷駅で降りて大通り沿いのビル街を上智大を右手に見ながら真っ直ぐ麹町の方へ歩いた。「半蔵門会館」はすぐ見つかった。フロントで警察共済で予約してあるので宿泊したいというと、支配人の国分さんという人が部屋まで案内するようにメイドさんに指示した。鍵を渡されて部屋に案内された。ホテルに宿泊するのは生れてこの方初めてだった。シングルベッド、電気スタンド、洗面化粧台、小型テレビなどきれいに整った部屋だった。ホテルに着いたのが夕暮れ近くだったので部屋で少し休んでから食事を取りに1階に降りた。1回のラウンジからなだらかな螺旋階段を上がったとことに食堂があった。食堂でハンバーグランチを注文した。ナイフとフォークを使って飯を食べるのはこれが初めてだった。器用にナイフを使ってフォークの背に飯を乗せて口に運んだ。デミタスソースが濃厚な和風のハンバーグだった。茹でたクレソントウモロコシが添えられていた。食事を終わって、水を飲み備え付けの紙で口を拭った。部屋に帰って、英語の単語帳を見ようと思ったが落ち着かずエレベーターを使って地下の娯楽室に降りた。娯楽室にはゲーム機やジュークボックスが置いてありジュークボックスの横には革製のソファーが置いてあった。ジュークボックスの曲名を見るとレイモン・ル・フェーブルオーケストラの「シバの女王」があった。この曲は受験勉強をしている時よく聞く「金曜パックインミュージック」という野沢那智と白石冬美がパーソナリティとしてやっているTBSのラジオ番組のテーマ曲で僕のお気に入りの曲であったからである。革製のソファに両肘を掛けてゆったりと座り、自動販売機で買ったファンタグレープを飲みながらこの曲を聞いた。曲を聴き終わってからお腹をちゃっぽん、ちゃっぽんとさせながら部屋に戻って休み、明日の早稲田大学法学部の試験に備えた。翌朝試験は午前9:00からだったので部屋で洗顔を済ませ、食堂でパンとコーヒーの軽い朝食を取って8:00前にホテルを出た。ビル街には四谷駅の方から出てくるは、出てくるは、出てくるはサラリーマンの出勤時間。僕だけ逆に駅の方へ向かって歩いていく。駅まで歩いて15分。四ツ谷駅から地下鉄を使って早稲田前まで行った。校門の前でうらぶれた巻き寿司の入った「合格弁当」を買い、込みになっている合格電報を頼んだ。午後2時には試験は終わった。手ごたえは全くなし。これでは「東京へはもう何度も行きましたね!」ということに。翌日駿河台で中央大学商学部の試験を受けた。浪人はもう決まったかという思いを胸に故郷へと帰って行った。今日もまた自室に籠って受けた試験の問題を反芻しながら参考書を捲り、万が壱にも合格していないかと思うが、不合格が確実視される情報が目に入るだけである。両親の懐に極寒の浪人生活。そんな不吉な兆しがあちらこちらに表れ始めていた。

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