モッツアレラチーズ2 肆拾漆

じーじーじーじーと栗の木にはあぶらぜみ。朝、登校の準備。もうすぐ期末テストで学校

は午前中だけ。弟も鞄に教科書を入れている。目前の額に入れて壁にかけてある剣道2段の昇段認定書を頬を撫でながらじっと見つめる。そこはかとない充実感を覚えた。弟は4月から土佐高校に入っている。土佐高校では1年生からもう大学受験を意識して授業が行われているという。うかうかしていると弟に追い越されかねないとのプレッシャーを心に感じながら駐車場から自転車に乗った。1時限目熊沢先生の日本史。熊沢先生は漫才の平和ラッパみたいな感じの先生だ。今、江戸時代を勉強している。熊沢先生は時々マニアックな話をしてくれるが、今日は江戸時代の文化という所でさむらい宮本武蔵の「五輪の書」を上げた。江戸時代の武士の心得である「葉隠れ」などに見える武士道精神に触れながら「身を捨てこそ浮かぶ瀬もあれ」ということについて蘊蓄を傾けて見せた。熊沢先生は

その後、宮本武蔵と佐々木小次郎の「巌流島の決戦」について知っていることを1筆書いて、お願い!と言った。今日の日本史の授業は受験の選択科目であるだけでなく剣道をしている者にとって大変興味深いものであった。僕は鉛筆をなめなめ次のように書いた。「僕はテレビで高橋幸二主演の「宮本武蔵」を見たことはありますが、吉川英治の本は途中までしか読んでいません。宮本武蔵について一番大事だと思うことは戦いにおいて、葉隠れ精神を持つ他の武士にはない、戦いに勝つことを目的とした柔軟な思考だと思う。巌流島の決戦においてもわざと戦場に遅れていき、しかも待たせている間に舟で獲物の櫂(かい)を削って心を澄ますという二重の意味で精神的優位性を目指した作戦を用い成功裏に事を成し遂げた。こういう柔軟な思考のもとにある宮本武蔵の精神が「身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあれ」という言葉に深く表現されていると思う。」2時限目は川崎先生の体育。追手前の青ジャージーに着替えて元気よくグラウンドに出た。今日はグラウンド西にあるコートでハンドボールだ。最近ハンドボールがテレビだ流行っていて、ハンドバールのプレーは頭にイメージとしてある。特に印象が強いのはスカイプレーと呼ばれるイメージである。2,3人がボールをつないでゴールキーパーの前のゴールの進入禁止区画の手前で2人が同時に空中に飛び、ボールをパスするものがキーパーの守りを見定めて1人にボールをパスし、稲妻のようなストライクがゴールネットに突き刺さるという按配である。僕もこのスカイプレーをやろうと心に決めていた。高野君と武村君と僕の3人がボールを回しながらゴールに迫った。ゴール前で僕と武村君が空中に飛んだ。球が僕の手に入った。稲妻のような一閃がゴールネットに突き刺さると思われたが、僕のイメージをよそに力が入りすぎたゴールは全然関係ない方向にびゅーん、ぽた、ころころころ。もんどりうってグラウンドにうつ伏した僕が土に汚れた頬を手で払うと、高野君が腹を抱えて「おんしゃーどこえ投げよらあ!はははははは」と力強く笑った。期末テスト前なので授業は午前中で終わり、剣道部も今日は稽古をしない。家に帰ると駐車場に日蓮法華宗の三谷さんのセドリックが止まっていた。1階の食堂で母の作った海苔巻きと卵焼きを食べてから3階に上がった。三谷さんの法話が聞きたいと思って父の部屋をノックした。「来年は大学やねえ!県外へ出たら、信心ができるようにご本尊様をお受けしたいねえ!」「どなたについて信心するのか!」と父は言った。「キリスト教関係の寄付などのことですが、どういう風に考えたらいいでしょう。」「他宗への寄付行為などは謗法に対する布施となり、大変重い与同罪になると思います。」「謗法をするものに布施をすれば謗法を助長をすることになるからです。」「与同罪ということに関連して、雑誌に面白い記事がありました。信心とは関係ないかもしれませんが。共産主義の国例えば中国の共産党の支配する国営などの企業が資本主義の自由競争の市場に参入することを許す。それだけでなくそういう企業に技術供与をしたり利益供与をする。こういった行為は公平な自由競争市場の破壊に繋がる、それだけでなく自由主義国の敵である共産主義を助長することになる。この考えは仏法と関係ないけれども与同罪と同じ考え方だと思いました。」「なるほど、朱に交わりすぎると真っ赤になるということですか!」相変わらずの熱のこもった父と三谷さんの話に引き込まれた。父の部屋を出て自室に帰ると通りに自転車で帰宅する弟の姿が目に入った。

 

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