モッツアレラチーズ2 肆拾弐

秋もだんだん深まりゆく。庭の栗の木には実が沢山が成っている。顔を洗って、食卓に着いた。栗ご飯を母が台所から持ってきてくれた。父はすでに食事を終わっていて、爪楊枝で「しーはしーはー」しながら横目で僕の栗ご飯の栗の個数を「ひーふーみー」と数えている。弟も席に着き、僕の茶碗より一回り小さい茶碗に所狭しと乗った栗をほろほろと噛みながら胃の腑に収めていた。「栗はいいなあ!」と父がしみじみと言った。昆布茶を飲みながら絵画雑誌を眺めている父の背を後に3階で登校の準備をして階下に降り、駐車場で自転車に跨り学校に出かけた。授業が始まる前に担任の岡林先生が9月の修学旅行の費用の残額を修学旅行に参加した生徒に返金してくれた。修学旅行は生徒によって信州方面と東京方面の2つのコースに分かれていた。僕は明後年東京の大学を受験する予定であったので下見も兼ねて東京方面のコースを選んだ。修学旅行のコース選択の動機考えても印象の薄いものとなるのは明らかだった。旅行は3泊4日だったが、1泊は東京方面コースも長野県によってかの有名な黒四ダムの見学をした。しかし、今振り返ってみても「大きい水たまり」ぐらいな印象しか残っていないのは腹具合が良くなかったからかもしれない。長野から地元の列車と新幹線のひかり号を乗り継いで東京まで行き、山手線で品川まで行って旅館に宿泊した。2日目は鳩バスで東京都内の名所旧跡を巡った。とある神社で観光バスは止まった。鳥居をくぐって、石畳を直進した突き当りに建物があり鈴の付いた縄と前には賽銭箱があった。同じバスに乗っていた他のクラスの生徒が垂れ下がっている縄をおーきく、おーきくふって鈴を「じゃーん、じゃーん」と鳴らしていたので引率の先生が堪り兼ねて「せられんぞね!おおごとぞね!」と高知弁で注意をして、返って周りの観光客の注目を集めていた。この参拝の時、僕は学帽を脱ぎもせず、参拝自体もしなかった。これは家が日蓮法華宗という意識があり、日蓮法華宗の宗旨では今の多くの神社は謗法のため正しく神様がおいでにならないという理由からである。僕が学帽を脱がないでいると国吉という生徒に注意された。僕はこの注意を黙殺したが気持ちは悪かった。3日目は「待ってました!」と目に涙、自由行動です。高野君たちと一緒に旅館でのしゃけの焼き魚の朝食を済ましてら山手線に乗って品川から高田馬場まで行き、歩いて早稲田大学を見に行った。正面の門の付近には本を抱えた賢そうな男女学生がそぞろ歩き、奥には大隈講堂が燦然と聳え立っていた。「ここに来よう!」と僕は心秘かに思ったが、口に出そうとすると吉村君のせせら笑う笑みが脳裏に浮かんできて制止するのだった。高田馬場から電車で赤坂見附まで行って降りた。赤坂にはテレビ局がいくつもあるので見学に行くことにしたのである。毎日放送の局の辺りをうろうろしたが特にテレビでお馴染みのタレントなどに行き会うこともなく虚しく徘徊するだけに終わった。僕は四谷で他の皆と逸れてしまった。四谷には上智大学があるのを知っていた。四ツ谷駅の通りのほど近いところに「ソフィアユニバーシティ」と門柱に彫刻されている学舎があった。通りから中を眺めたが割合大学の敷地内は狭いように見えた。時計を見るともうすぐ正午である。「学食で飯を食おう!」と思ったが上智大学の雰囲気にはあまり引き付けられなかった。というのは上智大学と言えば美しい女子大生を連想するが実際学内を歩いていたのは汚いジーンズを履いた無垢付けき男子学生とけばけばしい化粧をしたオネエチャンだったからである。僕は山手線に乗ってお茶の水に急いだ。御茶ノ水駅前のだらだら坂を真っ直ぐ行ったところに御茶ノ水女子大学があった。流石に校内は賢そうな眼鏡をかけた女子学生ばかり。時折いかした服を着た男子学生らしき男が寄り添っている。「あの男は東大か!」と僕は心の中で思った。女子大生ばかりの校内で一人詰襟姿の僕はサイコーに目立っていた。構わず地下のラウンジに入っていった。あった、ありました学食が!食券売り場で前に居た女子学生はBランチを注文していた。僕は素知らぬふりをして60円のカレーと50円のけつねうどん、しめて110円を注文した。店員に怪訝そうな顔をされながらも首尾よく食券を買った。込み合う中押し合いへし合い席に着いた。僕は大勢の女の威圧感に気圧されることなく悠然と食い、けつねうどんの最後の汁を飲み干した。飯を食うのが目的だったので学食を出てからそくさくと大学を後にし、御茶ノ水駅に急いだ。品川の旅館に着いたのは2時過ぎでまだ集合時間まで余裕があった。さてさて、返金が終わって1時限目の水野先生の古典乙Ⅰが始まる。今日は紀貫之の「土佐日記」のところである。

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