モッツアレラチーズ2 拾陸

11月に入り、秋も深まりを見せている。高知市の市街にはイチョウ並木があちこちにあるが、葉が黄色くなり、銀杏(ぎんなん)が道端に落ちている。朝晩は冷え込む日もある。校門を通り抜け、駐輪場に自転車を止めた。だんだん自転車通学が大変な季節になる。手や耳などの露出している部分が寒いからである。2年3ホームの教室に入り、朝のホームルームが始まる。クラスの担任の池畠先生が写真の束を抱えて教室に入ってきた。はりまや橋にある和田写真館が撮影し、現像した修学旅行の時の写真だった。池畠先生が、修学旅行に参加した生徒に前まで写真を取りに来るように言った。僕も修学旅行に参加したので写真を取りに行き、着席して写真を見た。長崎の平和祈念像の前で撮影した写真だった。写真に写っているのは合計38名、男子23名、女子15名だった。先生は担任の池畠先生と引率の島崎先生である。なぜかバスガイドさんが一緒に椅子に座って写っている。写真には鈴木かほるなどが写っていなかったので何名か不参加の者もいたのであろう。散々な修学旅行であった。その日程は9月の15日から3泊4日で九州に行くというものであった。日程を聞いた時すぐ210日が頭に浮かんだ。なんでこんな時期に!。案の定3日ほど前には東シナ海に台風が発生し、日本の方に向かって接近していた。旅行の出発が危ぶまれたが、旅行の責任者である南渕先生が、旅行会社に問い合わせなどをした結果、予定通り出発することとなった。旅行は急行南風で中村まで行き、中村から宿毛の片島までバスに乗り、片島から船で大分の別府に直行した。船中見事に九州地方に台風が接近し、城北中学校の生徒の乗った船舶は揺れに揺れ、船酔いでげーげー吐いている者もいた。別府で1泊し、朝から別府の地獄温泉などを見学してから阿蘇山で牛の放牧ののどかな様子や、煙がもうもうと立ち上る雲仙普賢岳などを修学した。そのほか長崎の石畳やグラバー邸、大浦天主堂、原爆記念館、そして記念写真を写した平和祈念像などいろいろ名所旧跡を訪ねたが、時間のほとんどは観光案内のバスの中で隣り合って座っていた貴志君とおしゃべりをしていた。体調の悪さと睡眠不足でへとへとになりながら修学旅行の記憶を失って高知に戻ってきたのだった。この日授業が進んで終業のチャイムが鳴り、5時限目の森先生の英語の授業が終った。森先生は少し年輩の男の先生だが、黒板には先生が手を震わしながら、時には首を振りながら丹念に書いた端正な英語の文字が並んでいた。この日日直で掃除の当番だったので他の3人と一緒に掃除を済ましてから、部活に向かった。講堂に行くと器械体操部の2年生の中屋が鉄棒で車輪を回っていた。準備運動を済ましてから型通りの練習が終わり、立ち合いの稽古に入った。最近立ち合いでは野間と立ち会うことが多い。野間は2年生で剣道の腕前は一番上だが、リーダー向きではないので来年主将にはならないだろう。野間は独特の足さばきを覚えており、体をすかされて1本取られることが時々ある。これに対処するために決め打ちをするがするりとかわされてなかなか決まらない。部活が少し早く終わったので帯屋町にある金高堂書店で昔の武士の剣術の極意を書いた本がないかと、探していたがそれらしき本は見つからなかった。仕方なく江戸時代末期の武士、佐賀鍋島藩の牟田高惇さんの書いた武者修行の日記を買った。全部漢字で書かれた本だが当て字が多いので読めると思ったのである。価格760円也であった。

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