チョコ34

 

 

12月も半ばを過ぎ今年も締めくくりの時期に来ている。今年もコスモスPCサービス高知の仕事はごく少なかったので、お寺に足しげく参詣して信仰活動を中心の暮らしぶりであった。現代社会では科学的な発想や考えが世の中の基本、常識になっているので仏法的な発想は古いと思われがちであるが、逆に3000年以上の時の流れに耐えて今に至っているともいえるのである。最近COP25という世界的な会議で我が日本の若き環境相が日本の石炭による火力発電の問題で苦境に立たされていた。日本の石炭による火力発電がCO2の排出量を増し、地球の温暖化に悪影響を与えるとのことである。日本では福島原発の事故以来原子力発電を廃止もしくは削減の方向でエネルギーの供給を考えている。そこで、水力発電、火力発電、太陽エネルギーや風力などの自然エネルギーの利用で供給を賄うことになる。そうすると石炭による発電は必要不可欠といえるかもしれない。CO2排出量削減による地球温暖化防止というのは問題の解決方法として現実的であるといえるだろうか。現代の科学は時間という事を捉えてはいないと思う。地球規模の時間というものは40億年という時の流れが基礎になっている。地球規模の時間では地球の温度の100年の変化というものは1年に換算すると約0.8秒である。この変化の意味は捉えることが可能だろうか。もしこの変化の意味を問う時不思議という言葉でしか表現ができないとしたら、今の科学的スタンスでは問題の解決は不可能であろう。地震の予知も全く同じであると思う。科学では解決のできない問題に答えを出すのは正しい宗教である。宗教のほうが科学よりも遥かに時間というものをうまく捉えているに違いないからである。科学では人は死ねば終わりであり、未来はなくなるが、仏法では過去世・現世・来世の3世の生命を説いている。更に、仏法での時間の基本単位である1劫(いっこう)=約40億年となっているのも仏法が地球規模で時間を捉えていることを暗示させるものである。世の中ではよく時間を大切にするべきであるということが言われるが、寸暇を惜しんで充実した人生を送る理由を一体どこに求めるか。生存競争に打ち勝つためか、充実した時間の使い方をして名誉や富あるいは人類への歴史的貢献をするためなのか、こういった考えは人間の生も動物の生も死に至って同じところに帰着する。現代科学では死の瞬間に人間はいくら充実した生き方をしてもゼロになる。未来のない死体でしかなくなるのである。それどころか生きている人間すらゼロと評価しかねない崖っぷちに立っている。これは科学的考えが人間の現在を過去や未来と切り離し考えるからである。3世の生命観に立つ仏法に於いて、人間が時間を大切にしなければならない理由は人間として生まれることが実に稀だという所にある。仏法では人身は受け難し、爪上の土と説いている。仏法では人間本来の目的は成仏である。人間として生まれてきた時しか成仏に向かって精進するチャンスは来ないのである。しかも次の生への準備も必要である。それで人間にとって時間というものは掛け替えがないものとなるのである。一人の生命に関して仏法は過去・現在・未来という連続的な時間を規定して説いているが、科学ではこの3つが断絶している。科学では過去や未来と分断された現在を生きるのであるが仏法では過去や未来と業という因果で繋がった現在を生きるのである。科学は分断された因果の道理であり、仏法は連続していく因果の道理である。仏の道は古くて新しい、永遠に続く道である。

 

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