チョコ27

2月に入って早9日が経った。今年に入ってまだ仕事は1件も入っていない。そこで相変わらずお寺に参詣し、有難い住職やご僧侶の話を聞き、経文を読んだりお題目を唱えて俗人にしては清浄な生活を送っている。仕事が増えると、バタバタして俗世の垢に塗れるかもしれないので今の生活も信仰の功徳であろう。さて、世の中では今年もいろいろと事件が起こっているが、一番問題視されているのは政府の統計データの扱いの不適切さあるいはあるいは杜撰さである。データは予算の編成やアベノミクスの評価に関わるものなので国民の利益と政府の行政の信頼性に直接響くものである。官庁は統計データの連続性や有用性を重視していないように思われる。統計に関わっている専門の係官は2年ほどで移動するという話だからである。日本だけでなく世の中全体のことかもしれないが、こういう連続性を軽視したあり方は記憶力を低下させるものだと思う。記憶力が低下すると責任の所在や信頼性というものも曖昧になるのである。加えて、国民の記憶力も多様性の中で弱っている。1度あることは2度あり、2度あることは3度あるという意識が薄らいでいるのである。本来信用というものは2度、3度はないのである。仏のように心の広い人ですら同じ過ちを3度繰り返すともう振り向くことはない。記憶力が低下すると反省心が弱くなる。信用というものの力が弱くなり、世の中があやふやなものとなっていく。国民の利益というものが守られなくなるのである。仏教では信用というものは一番大切なことである。仏から受ける信用が信仰の基礎である。仏からの信用が厚くなると仏の智慧が働き、物事がうまく運び人徳も備わってくるのである。仏から受ける信用が薄いと信仰を持続することはできない。誓願(せいがん)という仏との約束を果たすことによって、仏からの信用は厚くなると教えられている。約束を果たすことによって信用が厚くなるのは世間のことも同じであろう。公約を果たさない政治家が2度も3度も当選するというのでは政治は良くならないからである。最近世間でもう一つ重要視されているのは児童虐待の問題である。この問題は仏教的な目から見れば世間的なものの見方とは随分異なるのかもしれない。仏教ではこういう問題を親子の因縁(いんねん)という角度から見ることもできるからである。あまり良い話ではないが、インドの阿闍せ王(あじゃせおう)という王様の仏教説話が思い浮かぶ。阿闍せ王は過去の因縁によって、母の王妃のおなかにいた時から父を恨んでおり((未生怨)みしょうおんという)父の王を殺して王座に就いた。その後その罪によって悪瘡(はれもの)ができて死にかけたが、母の看護と仏の慈悲によって救われるのである。児童虐待は単なる政策では解決しない親子の因縁の問題かもしれない。とにかく、殊更信用が保たれる世の中はいい世の中だと思う次第である。

 

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