チョコ26

新年になってもう2週間になろうとしている。まだ仕事は来ていないが、正月気分はとうに抜け出している。6日に徳島にあるいつも参詣しているお寺の宗派の寺院で布教推進のイベントがあったのでバスに乗って出かけた。同じ仏教でも当宗派では他宗派の僧侶のように羽目をはずしたような態度を取るご僧侶はおらず、謹厳実直な方がおおい。法話も現代的なテーマを追いながら深い法門をわかりやすく説かれる。当宗派のご僧侶方は仏教の法を下げるような態度はなさらないのである。最近世間で僧侶が僧衣を着て運転をしていいかということが話題なっているが、時代は変わっても僧侶が社会的に尊敬される立場であることに変わりはない。仏教のイメージを落とし法を下げるようなことは厳に慎むべきである。世間的な話題としてJALのパイロットの飲酒問題があがっている。昨今は自動車の飲酒運転でも極悪行為とみなされている。数百人の命を預かるパイロットの飲酒操縦は世間的にも問題外のはずである。昨今の世間に浸透している物質主義は欲望の充足を第1の目的として広がってきたので社会的に責任の重い人もこの洗礼を受けているのである。表向きは世間で立派な評判を保っている人も影では過度の飲酒などで羽目をはずしているのである。物質主義が浸透している世の中では物質的には何でも手に入るので、特に精神的な清浄さを求めなければ大した窮屈さはないはずなのであるが堕落していくのである。窮屈さを与えるのは法律や世間のルール、しきたりあるいは抽象的な常識といったものである。羽目をはずして堕落したいができない時、逆のベクトルの方向に舵を切る。すなわち、積極的に常識やタブーを破るのである。こういう態度はいい結果をもたらさないことが極めて多い。例を上げると精神病の真の自己の表出、犯罪の着手における犯意の飛躍的ひょうどうである。精神病の発病や犯罪の着手に結びつく、逆のベクトルを利用した堕落である。物質主義の世の中では常識を破るとか、重要なタブーを破るとかいうのは羽目外しの口実であることが多いのである。法やルールは保っていかなければならないのである。仏教的には時が現代は末法に位置している。末法では表立った戒律は不向きであるということが説かれている。私が参詣しているお寺の宗派は戒律という意味では無戒と言える。仏教でも小乗教では250戒といった厳しい戒律を説き、戒律を守ることで灰身滅智(けしんめっち)と言って、煩悩や迷いのもとである身を灰燼に帰するほど律し、思いを滅することで解脱しようとしたが、現代の物質文明の社会には不向きなことは理解できる。キリスト教やイスラム教でも厳しい戒律を守ることが現代では不可能であることは感じているだろう。どのような聖者も世の影響を免れることはできないからである。聖職者が隠れて羽目をはずして見つかり問題になるのはこのためである。末法では身を滅するほどの戒律を守って自己を律し、清浄な生き方をするのはほぼ不可能である。最も深い法によって戒(かい)・定(じょう)・慧(え)の三学を保たなければならない。

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