チョコ23

10月も後半になって、やっと秋らしい気候になってきた。現在親戚からの仕事が1件入っているが、仕事に従事している時間は短く、時折のお寺通いが続いている。先達て沖縄県知事がなくなり、次の知事を決める知事選が行われた。その結果、前知事の遺志を受け継ぐ候補が当選して、知事となった。前知事の遺志とは沖縄辺野古へのアメリカの基地移設を阻止することである。アメリカが沖縄に基地を置くのは、旧共産国である中国やロシア、北朝鮮といった国に対する極東の軍事的防衛のためである。日本政府がこのアメリカの要求を拒否して沖縄から基地をなくすためには日米安保を前提として、日本が軍事的に自立して自衛隊による極東の防衛ということを考えなくてはならないだろう。日米対戦における敗戦から70年立つが、最近は日本の自立あるいは主権国日本ということが取り沙汰されなくなっている。日本の国家的自立ないしは自律性は最近のグローバル化の中で非常に重要な問題である。交通機関の発達や世界経済のシステム化、アメリカやイスラムを中心とする紛争に起因する移民の急増で国家間の行き来が今までになく増え世界中にグローバル化の波が押し寄せている。グローバル化とは多様化である。日本でも少子化などにより経済構造の変化が予想されるのでグローバル化の波動が押し寄せることは必至である。多様化の中で一番重要なことは健全な自律性や独自性である。自律性が保てなくなるということは自律性を支えている戒めが弱くなるということである。そうなると多様性の渦の中に埋没して暗中を彷徨わなければならなくなるのである。卑近な例を上げれば先日カナダでマリファナが解禁されたことが日本にも関わってくるほど日本の自律性は心許なくなっているのである。日本は中国やロシアといった旧共産大国や軍事的、、経済的更に文化的に多大の影響力のある米国から自立して主権国家としての面目を保たなくてはならない。日本という国の主権を意識するためには国民の間に瀰漫(びまん)すべき新日本主義といったものが必要になってくるのかもしれない。健全な自律性が保てないのは自浄能力がないということが1因である。自浄能力がないと健全な自律性は養われないからである。日本の政治や経済、その他の団体は時々問題が事件となって現れ、その結果世論にその体質が晒されてから形だけの謝罪をしてお茶を濁すという体なので自浄能力がないのは明らかである。国民の自浄能力、更に個々人の自浄能力はどこに求めるのか。世の中では自浄というと主にストレスの解消や除去を意味すると思う。最近のストレス解消の手段はスポーツやダンスで体を動かしたり、ゲーム、音楽などでストレスを発散するといったものであるが、飲酒やドラッグなどは自浄ではなくて自毒である。自浄というのは本来心身の穢(けがれ)を消し去ることに違いない。仏教では昔から六根清浄ということが言われている。六根というのは耳根(にこん)・眼根・舌根・鼻根・身根・意根である。根というのは感覚や意識の入り口のことである。意識や体の感覚が清らかになることを六根清浄というのである。本来、自浄能力というのはこの六根清浄のことである。私が通っているお寺では端座しての読経・唱題(お題目を唱えること)によって六根清浄の手段としている。仏教での自浄と言うのは単にストレスを消し去るということではなく、命の濁りを澄ますということである。命の濁りが澄めば、すなわち六根清浄となるのである。命の濁りとは貪(とん)・瞋(じん)・癡(ち)の三毒であり、各々むさぼり、いかり、おろかという。この三毒を薬に変えエネルギーを引き出す作業が自浄ということなのである。煩悩を離れて菩提(成仏)に達するともいう。スポーツなどのストレス解消手段が自浄能力に繋がらないのはスポーツ界などで起きている事件などを見れば明らかである。自浄のないところに健全な自律はないのである。

旧いパソコンが蘇る!

性能が低いHDDからSSHDやSSDに

ディスクのクローンで丸ごと引っ越し

OSの起動スピードが速くなる

インターネットのブラウジングが速くなる