チョコ20

5月の末から梅雨に入っているが、今日は洗濯日和である。このブログを書くに当たって、OSをWinsdows10からUbuntu18.04に変えた。変えた理由はOS市場でのマイクロソフトの独占支配が長いのでWindows10に至って個人のユーザーにとってはいろいろな面での強制力が強すぎると感じるからである。一方、Ubuntuは数年前利用したときと比べると格段にGUIの操作性が良くなっている。ブラウザのFire Fox,メールソフトのThunder Birdは使いやすいし、プリンタドライバのインストールも簡単でマイクロソフト・オフィスとの互換性もよい。インターネットとメール、簡単なビジネス用途であれば単純な操作しかできないとは言え、Windows10よりも軽くて使い易い。さて、昨日はテレビのニュースで米朝会談を見た。朝鮮半島の非核化に向けての話し合いが行われて、米朝の共同声明が出た。しかし、非核化に向けての合意がなされたにとどまった。日本にしてみると、ミサイルの危険も拉致問題も全然解決の方向には向かっていない。日本は、この他にも北方領土をロシアに我が物顔で利用されているし、竹島などの領土も脅かされている。更に、日本国内では開かれてきたといえば聞こえはいいが、外人労働者が128万人を数え、中国人には埼玉県の街を占拠されたり、日本の大学を受験のターゲットにされたりしている。安倍首相は国難突破解散ということで選挙に勝利したが、日本の国難は重なるばかりである。こういう国難を仏教では他国侵ぴつの難と言う。国がこういう難に遭うのは国の指導者層の悪思想による。指導者層の徳が薄く、世俗の垢が積み重なっているので天が守らないからである。その元となっているのは忘恩であろう。親や先生や指導者の徳が薄く、恩というものが忘れられているからである。日本は忘恩の国になっているのである。その昔日本は仏教を国教のように重視していた。鳴くよ、鶯平安京だったのである。日本は島国でありながら、昔から争いごとが絶えないが、仏教を国教のように重視していた時期は平和な暮らしをしていたのである。これは仏教が善い思想だからである。指導者層が善い思想によれば、国には徳が重なり天がこの国を守るので国は平和になり、他国から狙われることもなくなるのである。鎮護国家というのは武力よりもむしろ仏法の仏力・法力で国を守ろうとする国の呼び名である。国難は新鎮護国家によって回避できるに違いない。

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