チョコ17

3月も終わりが近づき、桜の開花とともに今年も春が来ている。24日、25日といつも参詣している寺院の宗派の本山へ参詣してきた。本山は静岡県の富士宮にあり、日本一の富士山の麓にあるお寺ということができる。その日は晴れており、本堂の庭から見える富士山は今までに見たことの無いほど見事に冴えわたっていた。本山への参詣は「登山」と称されているが、往復は高速バスで18時間揺られて行く強行日程であった。当代のご時世では宗教は科学信仰者に押され気味ではあるが、日本では仏教や八百万の神々を信じる人も根強く残っているのである。行きかえりのバスの中で隣に座り合わせた人と最近の世情について語り合ったが、今の首相の周辺が騒がしいという話が出た。首相の悲願とされる現行憲法の改正に思いが至る。日本国憲法は施行され始めてから70年余りの歳月が経過しているので社会の実情とそぐわないところも出てきている。一番問題視されて、改正の対象と目されているのが憲法の施行直後の世界情勢により存在し始めた自衛隊のことである。戦争放棄を謳っている現行憲法の条文に自衛隊を明記するのである。日本国憲法は自主憲法ではないので、改正が戦前の日本のような状況へと回帰するきっかけになるのではないかということを懸念する向きもあるのかもしれない。二次大戦末期の危機的な状況の日本では国体護持ということがいわれていた。思想を統制して、国体を統一し、天皇制を保持するということである。追い詰められた日本が危険思想を排除して、一心同体になろうとする試みであった。懸念されているのは日本という国の状況が危機に陥ると昔歩んだ道に容易に回帰しうるという事であろう。これは島国の日本が一心同体を目指しながら、実は同体異心になっているということに変わりはないからある。思想統制は常に失敗に終わる。同体異心では物事を成し遂げる力は集まらないのである。歴史は繰り返すといわれるが、これは国でも個人でも悪い習いを改めるのが難しいからである。悪い習いを改めるのが難しいのは日本だけでなく他の国も同じである。アヘン戦争はつい昨日のことであった。仏教では身(しん)・口(く)・意(い)の三業ということが教えられている。振る舞い、物言い、思惟という3つによって、人の業が作られて行き、習いとなり性となるのである。法を謗ずること、うそをつくこと、よこしまな思いは悪業を作っていく。悪業の積み重ねの結果できた習いは容易に改めることができないのである。この習いを改められるのは厳しい修行でしかない。悪い習いを改めるのが難しいとしても日本に求められているのは一心同体ではなく、異体同心である。異体同心とは一人一人異なる国民が私を虚しくすることもなく同じところに心を置くことをいう。

 

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