チョコ16

2月に入った。南国高知でも寒い日が続いている。関東や北陸では大雪で交通が麻痺したりしている地域もある。4日に徳島のお寺で高知のお寺と合同の集会があったので参加させていただいた。寒いとはいうものの高知市街では雪が積もることはない。徳島方面では山間部で雪が積もっており、徳島のお寺へと向かう高速バスは時折雪に見舞われた。徳島へ行くと同じ四国の県ではあるが何となく高知との違いが分かる。徳島は高知と比べると地味なのである。高層建築物が少なく木造の1戸建てが多い。ハイカラな飲食店やレジャー施設なども高知では馴染んでいるのに徳島では浮いている感じがする。徳島の街並みを見ていると最近の世の中の変化が一様に進んでいるのではないのを実感する。土地柄というものがあるのであろう。個人経営のコスモスPCサービスでは1件仕事の予定があるが、これが今年の初仕事である。世界的なパソコン販売の状況は今年は良くなると予想されている。しかし、世の中が軽薄短小を指向しており、スマートフォンやタブレットが主流であることに変わりはない。軽薄短小が指向され始めたのは日本では高度成長期の終わり頃で造船や製鉄といった重厚長大な産業から軽薄短小の電子機器や半導体などのハイテク産業へと重心が移っていったことに端を発しているようである。軽薄短小ということは現在では世の中の風潮を作り出している。軽くて持ち運びが簡単、自由に移動できる。薄くて小さく場所を取らない。手間がかからない。しがらみがない。関わり合いが希薄である。拘束性が弱い。反面、吹けば飛ぶような、絆がない、軽薄な、実体感が薄い、真実味がない、などのマイナスイメージもある。最近話題になっている仮想通貨なども軽薄短小と同じ指向のベクトルを発している。必要性を否定できないにしても、実体が虚ろな人工的バブルなのである。最近の世の中は虚実または細工と自然が溶け合って存在しているような状況を呈している。権威や伝統といった重厚長大な方向性のベクトルも根強く放たれてはいるが世の中は浅く速く動いている。世の中は移り変わってゆくが、実体のある実相は過去から現在そして未来へと存在し続けていく。虚ろなバブルは世の中とともに生まれては消えてゆく。仏教では釈尊の入滅を基準に正法・像法・末法という時代の違いを説いている。正法時代1000年、像法時代1000年、それ以後は末法である。現在は末法時代に入って約1000年になる。末法というのは釈尊に縁のない人が生まれてくる時代のことで、本来救いようのない人が生まれてくる時代なのである。正法・像法時代の人に比べると物覚えが悪く、平気で嘘をつき、根性が曲がっている、そういった人々が生まれてくる悪世である。正直者の頭には神が宿るという言葉が日本にはあるが、末法には正直者が少ないのでこういう言葉もあるのである。先頃、日本の由緒ある神社の神主が殺人事件を起こしたが、この神主の頭には神ではなく悪鬼が宿っていたに違いない。日本の宗教界の惨憺たる有様を象徴する事件だと思う。末法に生まれてくる人は正直で素直な人柄になるのが難しいので弛まぬ修業が必要なのである。

 

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