モッツァラチーズ15

その年、5月になって中学に通い始めていた。私は私立中学を受験しなかったので、公立中学に通うことになった。永国寺町は城北中学の校区に入っていた。城北中学は八反町という町にあり、永国寺町から中水道に出て、洞が島を通って、高知大学の附属中学前を北に入る。自転車で15分ほどの道のりである。城北中学の校舎は南から北へと3棟が並んでおり、渡り廊下を経て、一番北に講堂があった。私は1年2ホームに組み入れられ、一番北の校舎の1階の教室を利用していた。4月の4日に始業式があり、私の中学生としての生活は動き始めていた。小学校時代、比較的品行が方正で成績もよかったので、選ばれてクラスの代表委員になっていた。また、当時はクラブ活動が生徒に義務付けられており、私は顔見知りの生徒に誘われて、器械体操部に所属することになった。器械体操部は3年生、2年生が8人ほどおり、私を含めて1年生が新しく3人入っていた。その日は3時限目が数学で、授業が終わって、昼休みに入ろうとしていた。小学校の時は算数だったが、中学に入って数学になった。真新しい教科書と問題集を革の手提カバンにしまい込む。数学は現在「正の数・負の数」を教えてもらっていた。お昼は当時、給食はなくお弁当を持ってくるか、朝のうちにパンを注文するようになっていた。母に作ってもらったお弁当を革の手提カバンから出し、机の上に広げた。タッパの中には炒めたご飯の上に卵焼きが乗っているオムライスのようなものが入っていた。昼食が済み、理科、保健体育、技術家庭と続いて、6時限の授業が3時半には終わった。授業が終わって、1年2ホームの教室から北へ渡り廊下を渡って、講堂へ向った。小学校の時は授業が終わるとまっすぐ家に帰っていたが、中学では2時間ほどクラブ活動をしてから家に帰るので、学校にいる時間がずいぶん長くなった。講堂の片隅で制服から青色のジャージに着替え、部活動が始まる。講堂では器械体操部の他に剣道部や柔道部が練習していた。器械体操部の部活動は大会への参加を目指しての練習である。中学の器械体操はオリンピックなどと違い、床運動と鉄棒と跳馬の3種目だけである。柔軟体操の後大会の規定種目の練習をする。1年生の規定種目は床運動が伸身の腕立前方転回から飛び込み前転、側転、T字バランスなどであった。私はクラブ活動では怪我をしないことと考えて練習することを大事にしていた。5時半にクラブ活動が終わり、南にある校門のところで父の車を待った。いつもは自転車で通っていたが、この日は父が送り迎えをしてくれていた。父は車から降りて私の待っているところに来て声をかけてくれた。その時、通りかかった美術のO先生が父に話しかけてきた。話は10分、15分と続いた。父は途中何度も時計を見て、時間を気にしていた。結局話は30分ほど続いた。この話によって、父の絵画の会の打ち合わせなどの予定は全て狂ってしまった。これは中学のモッツァレラチーズである。中学は時間の狂いのしわ寄せを父に食わせた。帰りの車の中で父の顔の眉間にはしわが寄っていた。

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