2019年

11月

15日

チョコ33

11月も半ばになって高知県は秋らしい気候になっている。昨日今日とセーターを羽織っていても肌寒いほどである。今年もあと残すところ1か月半となった。24日には高知県の知事選と高知市の市長選がある。知事選では自公の推薦の候補者と共産党を中心とする野党の連合の候補者が立候補している。そこで、高知の今度の選挙は与野党の対立軸が比較的わかり易いものとなりそうである。個人的な選挙に対する関心は仕事と信仰に関わることである。殊に信仰に関しては信教の自由を守るということが政治的には何を置いても大切である。日本国憲法で初めて信教の自由が保障されてから70年になるが、宗教法人は戦後まもなくでは500を少し超えるほどであった。ところが現在では20万という数に上っている。税金逃れなどの不純な目的を持つ団体も多いのであろう。日本人は昔から八百万の神々を信じてきており、宗教的な潔癖さというのはあまりないかもしれないが20万という数はまことに信仰心の薄さを感じさせる。宗教にはおよそ正邪の判定基準というものが存在するのである。まず文証というものが必要である。教義・教説の基礎となる長い時の流れに耐えた経文・原典が存在しなければならない。次に理証いうものがいる。これは教義が道理にかなっているかどうかという判定基準である。道理とは論理もあるが結局は因果の道理である。更に現証というものが最も重要である。教義・教説に基づいてその信仰を実践して、意図した結果即ち利生・得益(りしょう・とくやく)が確かに現れるかということである。この判定基準に基づいて信仰を判定する時、篩(ふるい)には1つの正法・正義の珠が残るのみである。日本人の信仰心の薄さは信じる力の弱体化を示している。信じる力が弱いのは信じるに値するものがないという事だけでなく、五濁悪世の世ではすぐに疑いという毒で命が濁るからである。仏教において信仰の基礎となるのは信じる対象に対する信じる力の強さである。信じる力を実際の力に変えるのは行ずる力である。行とは唱題による祈祷や経文の読誦あるいは折伏(しゃくぶく)などである。実際の力とは仏力・法力である。仏力・法力が働くことによっていろいろな現象が引き起こる。強く信じ・強く行ずれば強い仏力・法力が働く。世の中においても信じる力は同じく行動の基礎である。1つの主義・主張を持つ団体は主義・主張について互いに信じあう力が弱ければ団体の実行力も弱いであろう。自分の練習方法や研究方法を強く信じなければ他の人にはできないスポーツの記録や研究も生まれてこないのである。今の世は価値が多様化した信じる力の弱い世の中になっている。信じる力の弱い世の中は認識や判断があやふやな世の中でもある。信じる力は善かれ悪しかれ認識や判断を確かなものにするからである。認識や判断があやふやでは前途を切り開いて進む力は出てこない。ところで仏教でも世の中の事でも何を信じるのかが一番肝心である。信じる力が強くても信じる対象が間違った、悪しきものであれば正しい力は生まれない。仏教において信じるべき対象を本尊という。信じるに値するものとは正しい本尊に他ならない。正しい本尊に向かって祈れば、感応して仏の智慧が湧く。仏の智慧こそ果てしない可能性の元なのである。一向正しい本尊とは教義・教説から明らかに違いない。

 

 

2019年

10月

21日

チョコ32

10月も半ばを過ぎ、今年も終盤に入る。ここのところ仕事がないので足は寺院に向いている。10月19日・20日といつも参詣している寺院で御会式法要があった。この儀式は宗祖の入滅に関わって行われるものであるが、仏は方便として入滅するが実は常住して衆生を済度するという意味が込められている。法要には本堂いっぱいの参詣者を迎え厳粛に行われた。高知県は台風被害も少なく比較的平穏な終盤戦を迎えている。これも我寺院にて読誦する法華経やお題目の計り知れぬ功徳力によるものであろう。他県に目を向けると千葉県や関東甲信越などで台風19号の上陸で川の堤防の決壊による被害に見舞われ、多数の死者や被災者を出している。日本では他国以上に防災措置がなされていると思うが、科学的手段方法だけで自然災害を予防しようとすることは金がかかるばかりで実効性に乏しく思われる。科学は原因結果の道理によって知識を積み重ねて進歩しているが、なかなか自然を相手にうまく対処できていないのは因果の道理が浅いからである。深いところに根を持つ自然現象は科学的な因果の道理では把握しきれていないのである。昨今の日本では殊に台風・洪水・地震といった自然災害が多く、児童虐待・あおり運転などの一般市民の暴力沙汰などが多く人心は乱れている。日本は歴史が古く、由緒ある国柄である。しかし、その日本は太平洋戦争で国が破れるという事態を経験している。日本は敗戦後経済的復興は果たしたが、今も国内には米軍基地が多くグローバル化が進む世界にあって自律的な確固たる主権を主張できていない。太平洋戦争の時、神国日本を天照大神や八幡大菩薩などの天皇家に関わる国の守護神は国を守らなかった。わずかに敗戦時の天皇陛下を救っただけである。今の日本も全然天には守られていない。どれほど国が科学的努力を積み重ねても国が天に守られていないと安穏な国民生活はもたらされないのである。善神が国を守らないのは人心が荒廃し、国に徳がないからである。国に徳がないのは国中に謗法(正法誹謗)が充満しているからに他ならない。正法を護持することによってしか国は徳を積むことができないのである。仏法の因果の道理は深く、全ての自然現象に遍く関わっている。日本が敗戦から復興するのはこれからである。日本が不知恩・忘恩から仏法によって知恩・報恩へと変わりゆけば善神は日本の国土に帰ってこられ、自然災害もなく人心も清浄となり安穏な国土が実現されるに違いない。

2019年

9月

03日

チョコ31

9月に入って随分涼しくなってきた。コスモスPCサービス高知の仕事がないため豊かな生活はできていないが、お寺に足しげく参詣しているので精神的には並々ならぬ安定感がある。年金生活者を脅かす消費増税が10月より施行される。社会保障の安定財源確保といわれるが、もちろん取られるだけの実感しかないであろう。社会保障も最低限度の平等性や格差の是正といったことがイメージとしては浮かぶが、一方日本国憲法14条の法の下の平等が機会均等ということがテーマであることを考えると保障の在り方によっては実際には憲法の規定するところに反する局面もあるのではないかと思う。一昔前、違いが分かる男のコーヒーのコマーシャルが放映されていたが、昨今の世の中は社会のあらゆるところで違いが曖昧になってわかりにくくなってきている。人間と動物の違い、男女の違い、大人と子供の違い、健常者と病者の違い、幸福と不幸の違い、善悪正邪の違い。違いを峻別せず曖昧にするのは今の記号社会に合致するからともいえるかもしれないが、違いから派生する様々な問題を先送りしたり、浅いところで解決ができたように装うためである。違いが曖昧だから平等のように見せかけやすいのであり、平等な社会の実現からは反って遠のいてしまうある。平等には真の平等と悪平等がある。悪平等とは高きを押して低きに付け平等ならしめること、即ち尊貴なものの価値を減じて価値の低い卑しいところに下げ平等を実現するということである。真の平等とは価値の低い卑しい物を尊貴なものをのところまで価値を押し上げ、尊貴なものとの平等を実現するということである。最近足しげくお寺に参詣しているので、布教活動にも参加している。布教活動で団地の人と話をしていて思うことは個々の人が抱えている悩みや問題意識が伝わってこないということである。仏法は人の悩みや様々な問題に解決を与えうる教えである。元々お釈迦様は四苦・八苦という人間の苦悩から離れる為に仏法を説かれた。この頃の人は悩みや問題がないのではなく、今の事だけを考えて逃走しているものと思われる。違いの曖昧な社会は逃げ道が多く、逃走が容易だからであろう。逃走している人を捕まえて悩みや問題解決と向き合ってもらい、本当の解決を目指して仏道修行を勧めることはなかなか容易ではない。逃げおおせても臨終までだということを知っていただきたいものである。臨終に逃げ場はなく、清算は行われるからである。人身は受け難し、爪上の土。人間として生を受けることは全く稀である。

 

2019年

8月

09日

チョコ30

8月に入って、暑い日が続いている。コスモスPCサービス高知では4月から2台オリジナルパソコンが売れたので補充のパソコンを組み立ててホームページに載せている。オリジナルパソコンの組み立てでは中古のパーツを流用してリサイクルすることもあるのでオリジナルパソコンは基本的に中古品扱いである。今パソコンのOSで中心的存在であるマイクロソフトのWindows10はリリースされてからもう5年になるが様々な問題を抱えている。組み立てパソコンの世界でも各部品の相性がきついなどのなどの組み立てに際する不安定要素が多い。安定してから進めばよいのだが、先を焦って躓くと悪くすれば方向性を見失ってしまいかねない。パソコンの世界に限らず、世の中の至る所に不安定要素を抱えている。7月の参議院選では選挙の大した争点もなかったが、2年ほど前に行われた衆議院選挙は国難突破と銘打たれて解散されたのである。国難は2年前よりもさらに深刻になっている。北朝鮮のミサイルや拉致問題は全然解決していない。最近は隣国である韓国とも戦前の問題や経済問題で仲がこじれ対立している。北方領土の問題もロシアからの返還のめどは全くと言っていいほど立っていない。日米安保に基づいてアメリカは日本の国土の中に数多くの米軍基地を養っているが、中国の多面的な日本侵略から日本を守る気はありそうもない。平成の時代に続いた大地震などの様々な天災・人災は令和になっても続くであろう。異常気象や他国の漁業の変化や日本の政策の性急さによって農林水産業は衰退し、食糧の自給はだんだんと危機に瀕している。また、TPPなどによって食の安全性は低下している。メディアでは宇宙探索や新進テクノロジーの成果を宣伝をしており、深刻化している問題を掘り下げたり、検討する必要性を全く訴えてはいないのである。国難に際しては過去から続いている問題を十分考え解決しながら進まなければならない。虚妄の様なテクノロジーの革命では解決の方向には向かわないのである。最近の世の中で不安定要素が増しているのは日本だけでなく国難が世界的な状況だからである。こういう国難は仏法では三災七難と呼ばれるものである。原因は国土に謗法(ほうぼう)が充満しているからである。謗法とは正法に背くこと、すなわち仏の真実の教えを謗り、その教えを伝導する僧俗を誹謗迫害することである。謗法の主なものに十四誹謗(じゅうしひぼう)がある。十四誹謗とは1.驕慢(きょうまん)2.懈怠(けたい)3.計我(けいが)4.浅識(せんしき)5.著欲(じゃくよく)6.不解(ふかい)7.不信(ふしん)8.顰じゅく(びんじゅく)9.疑惑(ぎわく)10.誹謗(ひぼう)11.軽善(きょうぜん)12.憎善(ぞうぜん】13.嫉善(しつぜん)14.恨善(こんぜん)をいう。これらをすべて解説はできないが、謗法の本体は正法あるいは正法を受持するものに対する不信と怨嫉(おんしつ)である。わかり易く言うと十四誹謗の終わりの4つである善を憎み、善をなすものに怨嫉するということである。善とは正法である。今の世の中と関係がないようなことに思えるかもしれないが、今の世の中には謗法が充満している。この証拠は例えば国に降りかかっている三災七難など世の中の様々な解決の困難な根の深い問題が存在していることと関係している。猶多怨嫉経滅度後(ゆたおんしつきょうめつどご)なのである。仏の在世すらなを怨嫉多し、況や滅度の後おやということである。お釈迦様がこの世においでであった善人が多い当時ですら、善をなすものに対する怨嫉は多かった。まして、悪人の多い末法の世では善心を起こし、善をなすものに対する憎悪・怨嫉が強く激しいのは当然のことである。謗法とは善に対する不信と怨嫉である。謗法が充満しているのに謗法が意識されていない世の中は欺瞞(ぎまん)に満ちている。この欺瞞性の基礎は偽善に違いない。偽善とは根の深い解決の困難な問題を浅いところで恰も解決が付いたように見せかけることを含んでいる。善とは正法であり、善へと向かう善心こそ困難な問題を根本的に解決する最大の力なのである。

2019年

7月

26日

チョコ29

7月ももう26日になって梅雨も明け、これから本格的な夏になる。しばらくブログを書けなかったが、最近お寺の布教活動や唱題会などへの参加頻度が高くなっているのでじっくりテーマを追う余裕がないからであろう。この宗派は宗教は理論ではなく実践であるという宗旨なので当然の結果ではある。布教活動をしていると一般市民の生活は急速に進展して半ば混迷の状態の世の中から身を守るように仕事や生活に没頭しているように見える。進展と書いたが実際は目先を新しく見せているだけのことも多かろうと思う。このブログを出しているコスモスPCサービス高知ではパソコンの製作をしているのでパソコンの部品の動向はいささか知っているが、例えばCPUについても一頃のムーアの法則が成り立つような状況にはない。下手をすると世代の新しい部品が旧世代のものより性能が劣る部分が出てきているのは事実である。また、規格を新しくするために前の規格との互換性(特に形状,USB他)を考えないためどんどん立ち消えになっていく可能性がある。一足飛びの進展を求めて地道に過去との互換性を考えられず連続性を失っていく懸念がある。このことはパソコンの世界だけでなく世の中の様々な事柄について言えることである。最近の世の中が混迷状態にあるのはこのことが大きく影響していると思う。21日に参議院選挙があったが、投票率は48%と低い水準であった。世の中が地道さや粘りがなくなる原因は「あきらめ」の念が原因であると思う。あきらめると前へ進んでいるつもりでも実際は逆進しているのではないだろうか。本来進歩というものは石にかじりついてでも1歩先へ進むという人間の魂の力によるものなのである。世の中が混とんとしているのはあきらめの逆進性の表れではないかと思う。逆進性というのは見かけは問題の解決や壁を乗り越えるように見えて、実際は問題の解決から遠ざかっていくという意味である。仏教的にみれば現代は末法の世代である。末法という世代はお釈迦様の法が力を失った五濁悪世である。五濁とは劫濁(こうじょく)=長期の時代の濁り、衆生濁(しゅじょうじょく)=衆生相互の濁り、煩悩濁(ぼんのうじょく)=本能や物質的欲求の濁り、見濁(けんじょく)=ものの見方考え方、思想の濁り、命濁(みょうじょく)=命の濁りひいては生活の濁乱、寿命が短く、浅くなる、この5つの濁りである。悪世とは互いに相争う弱肉強食の世の中ということである。こういう末法の世代の濁りや汚れを清浄にしていく必要がある。あきらめると清浄な世の中はいつまでたってもやってこないのである。清浄で平和な世の中は正しい仏の法を求める魂の力によってもたらされるのである。

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