2021年

9月

18日

モッツアレラチーズ2 肆拾弐

秋もだんだん深まりゆく。庭の栗の木には実が沢山が成っている。顔を洗って、食卓に着いた。栗ご飯を母が台所から持ってきてくれた。父はすでに食事を終わっていて、爪楊枝で「しーはしーはー」しながら横目で僕の栗ご飯の栗の個数を「ひーふーみー」と数えている。弟も席に着き、僕の茶碗より一回り小さい茶碗に所狭しと乗った栗をほろほろと噛みながら胃の腑に収めていた。「栗はいいなあ!」と父がしみじみと言った。昆布茶を飲みながら絵画雑誌を眺めている父の背を後に3階で登校の準備をして階下に降り、駐車場で自転車に跨り学校に出かけた。授業が始まる前に担任の岡林先生が9月の修学旅行の費用の残額を修学旅行に参加した生徒に返金してくれた。修学旅行は生徒によって信州方面と東京方面の2つのコースに分かれていた。僕は明後年東京の大学を受験する予定であったので下見も兼ねて東京方面のコースを選んだ。修学旅行のコース選択の動機考えても印象の薄いものとなるのは明らかだった。旅行は3泊4日だったが、1泊は東京方面コースも長野県によってかの有名な黒四ダムの見学をした。しかし、今振り返ってみても「大きい水たまり」ぐらいな印象しか残っていないのは腹具合が良くなかったからかもしれない。長野から地元の列車と新幹線のひかり号を乗り継いで東京まで行き、山手線で品川まで行って旅館に宿泊した。2日目は鳩バスで東京都内の名所旧跡を巡った。とある神社で観光バスは止まった。鳥居をくぐって、石畳を直進した突き当りに建物があり鈴の付いた縄と前には賽銭箱があった。同じバスに乗っていた他のクラスの生徒が垂れ下がっている縄をおーきく、おーきくふって鈴を「じゃーん、じゃーん」と鳴らしていたので引率の先生が堪り兼ねて「せられんぞね!おおごとぞね!」と高知弁で注意をして、返って周りの観光客の注目を集めていた。この参拝の時、僕は学帽を脱ぎもせず、参拝自体もしなかった。これは家が日蓮法華宗という意識があり、日蓮法華宗の宗旨では今の多くの神社は謗法のため正しく神様がおいでにならないという理由からである。僕が学帽を脱がないでいると国吉という生徒に注意された。僕はこの注意を黙殺したが気持ちは悪かった。3日目は「待ってました!」と目に涙、自由行動です。高野君たちと一緒に旅館でのしゃけの焼き魚の朝食を済ましてら山手線に乗って品川から高田馬場まで行き、歩いて早稲田大学を見に行った。正面の門の付近には本を抱えた賢そうな男女学生がそぞろ歩き、奥には大隈講堂が燦然と聳え立っていた。「ここに来よう!」と僕は心秘かに思ったが、口に出そうとすると吉村君のせせら笑う笑みが脳裏に浮かんできて制止するのだった。高田馬場から電車で赤坂見附まで行って降りた。赤坂にはテレビ局がいくつもあるので見学に行くことにしたのである。毎日放送の局の辺りをうろうろしたが特にテレビでお馴染みのタレントなどに行き会うこともなく虚しく徘徊するだけに留まった。僕は四谷で他の皆と逸れてしまった。四谷には上智大学があるのを知っていた。四ツ谷駅の通りのほど近いところに「ソフィアユニバーシティ」と門柱に彫刻されている学舎があった。通りから中を眺めたが割合大学の敷地内は狭いように見えた。時計を見るともうすぐ正午である。「学食で飯を食おう!」と思ったが上智大学の雰囲気にはあまり引き付けられなかった。というのは上智大学と言えば美しい女子大生を連想するが実際学内を歩いていたのは汚いジーンズを履いた無垢付けき男子学生やけばけばしい化粧をしたオネエチャンだったからである。僕は山手線に乗ってお茶の水に急いだ。御茶ノ水駅前のだらだら坂を真っ直ぐ行ったところに御茶ノ水女子大学があった。流石に校内は賢そうな眼鏡をかけた女子学生ばかり。時折いかした服を着た男子学生らしき男が寄り添っている。「あの男は東大か!」と僕は心の中で思った。女子大生ばかりの校内で一人詰襟姿の僕はサイコーに目立っていた。構わず地下のラウンジに入っていった。あった、ありました学食が!食券売り場で前の女子学生はBランチを注文していた。僕は素知らぬふりをして60円のカレーと50円のけつねうどん、しめて110円を注文した。店員に怪訝そうな顔をされながらも首尾よく食券を買った。込み合う中押し合いへし合い席に着いた。僕は大勢の女の威圧感に気圧されることなく悠然と食い、けつねうどんの最後の汁を飲み干した。飯を食うのが目的だったので学食を出てからそくさくと大学を後にし、御茶ノ水駅に急いだ。品川の旅館に着いたのは2時過ぎでまだ集合時間まで余裕があった。さてさて、返金が終わって1時限目の水野先生の古典乙Ⅰが始まる。今日は紀貫之の「土佐日記」のところである。

2021年

9月

16日

モッツアレラチーズ2 肆拾壱

もうすぐ夏休み。栗の木にはアブラゼミがじーじーと鳴いている。家族4人での朝食が終わって3階に上がり、鞄に教科書を入れる。学期末のテストが終わって、短縮授業になっている。弟は梅ケ辻の土佐中までの通学に20分ぐらいはかかるので先に出て行った。いつもより軽い鞄を自転車の後ろの荷台に括りつけてから学校に向かった。授業が始まり、1時間目安岡先生の英語から3時限目水野先生の古典乙Ⅰまで事故もなく終わり短縮授業は終了した。部活の剣道部では夏休み過ぎると3年生が大学受験や就職準備などであまり部に出てこなくなるので2年生中心になる。今日は部室で夏休みすぎの3年生の活動の予定などを立てるため稽古は休みになった。家に帰ろうかと思ったがまた学参を漁りたくなって帯屋町の金高堂書店へと向かった。店の前に自転車を止めて、店の中に入ると正面の突き当りに学帽もかぶっていないにやけた顔の吉村君の姿が目に入った。近寄って行って後ろから覗くと、彼女いない歴16年の吉村君はチッチとサリーの「小さな恋の物語」をにやにやしながら読んでいた。僕は「そうか彼女がいないから」と思い、ここは声までかけまいと思いながらその場を離れ2階の学参コーナーへと向かった。学参コーナーでベストセラーの帯の付いた森一郎著「試験に出る英単語」を買い求めた。英単語は「赤尾の豆単」を持っているが見出しの単語が8000語もあり「A」のところだけ繰り返し覚える結果になっているからである。「試験に出る英単語」は1000語ほどで親しみ易かった。本を買って、帰ろうとすると入り口で吉村君と一緒になった。入り口付近で受験の話などをしていたが、ここでは話ができないということで僕のうちに遊びに来ることになった。2人で自転車に乗り永国寺町の我が家に10分ほどで着いた。駐車場に自転車を置いて3階の僕の部屋に案内した。父も母も出かけていた。自分で1階の台所の冷蔵庫にあった森永コーヒー牛乳を2人分コップに入れ盆にのせて3階に持って行った。一頻り受験勉強の話をしたが、吉村君は工学部を受験する腹積もりだと言った。僕は数学の成績の低迷からすでに心は理系から文系へと移っていた。高木彬光の「検事霧島三郎」の秋霜烈日に心を打たれ、「剣道部向きや!これは!」と思って法学部志望が頭にちらついて居た。「早稲田の法学部とかええなあ!」と僕が言った。吉村君はせせら笑う笑みを浮かべて、「ほーー!」と言った。話だけでは間が持たないので将棋を競うことになった。弟の大事にしている道具箱から本榧(かや)で作った足付きの将棋盤と象牙の駒を持ってきた。吉村君は「すごい上等なもんやねえ!」と言いながら将棋盤に駒を並べた。僕は小学校の頃少し将棋を覚えたことがあったが、駒の並べ方、動かし方の他にいくつかの戦法は知っていた。自然体の僕の将棋に対し、吉村君は考える将棋だった。飛車の頭の歩を突いて、角道も空け、相手方左隅の香車を取って成りこむ初歩的な戦法は吉村君には通用しなかった。吉村君の棒銀に苦しめられ、思考力が途切れがちになり惜敗を繰り返した。結局5連敗して、吉村君が勝ちすぎでやる気を失ってから急に僕の戦法が効を奏しだし2連勝した。2勝5敗の無念な終わり方だったが、吉村君が用事を思い出して帰ることになった。漫ろ寒い心持。吉村君を玄関で見送りながら勝負事で負けることの手痛さを痛感していた。

2021年

9月

15日

モッツアレラチーズ2 肆拾

若葉の季節がやってきた。栗の木にはちゅんちゅんと雀が鳴いている。朝自転車で登校するわずかなひと時も緑で包まれるような気分である。西門近くにある駐輪場から校舎に入って、階段を上がり2年2ホームの教室に着いた。自分の席に着こうとすると島岡君が僕の前に竹刀を構えて、立ちはだかった。一見、島岡君の竹刀の柄を握る手の間隔が空きすぎていたので1歩踏み込んで空いている柄の間に手を伸ばし握った。島岡君は竹刀を動かすことができず、「む・む・む・む・・・・できるウ!」と言って椅子に蹲った。島岡君は漫画「男組」に出てくる神竜剛次のファンなので時々こういう冗談を人に仕掛けている。1時間目は担任の岡林先生の数ⅡB。三角関数の加法定理のところをやっている。岡林先生は加法定理の覚え方のコツを教えてくれた。「サイタ、サイタ、サイタ、コスモス」「サイタ、サカナイ、コスモス、サイタ」「コスわよ!コスわよ!明日コス」、コス」「コスわよ!͡コサない!バーサン、シンだ!」と覚えなさい。あまりの泥臭さに「えーかや!この先生は!」と思い、不信で心の中が一杯になった。しかし、なんとこの覚え方で実際に問題を解いてみるとスラスラ解けるは、解けるは。数学はセンスもないのにあまりきれいな解き方にこだわるのも点数に結びつかないのかもしれない。2時間目の体育の時間は苦手のマラソンだった。僕はマラソンを別名「まるそん」と言って嫌っていた。息は切れるし、乳酸のため体が重くなり、動かなくなる不快感が堪らないからである。その日は1500メートルほどはありそうな追手前高校の外周を2周するということで30人ほどの生徒が一斉に南の正門からスタートした。表通りを走るので車の排気ガスを十分吸い込みながら走った。2周目は予想通り周回遅れになった。前をふくらはぎの太い吉村君が走っていた。僕は吉村君を抜けると思って後ろからついて行った。なぜかというと吉村君はふくらはぎに乳酸がたまりやすいと思ったからである。やがて足が重くなって落ちてくる。案の定僕は後500mという所でスピードの落ちた吉村君を交わした。更に前を走っていた西村君と並んだ。もうゴールまで200~300mしかなかったし、前にはもう人がいなかったので並走してもよかった。順位を争うほどの位置ではないからである。しかし、日頃西村君とは互いの体力を認め合ってはいなかった。僕がスピードを増して前に行くと、西村君は歯を食いしばって附いて来た。僕も負けまいと走ったので、二人とも全力疾走で河野先生の待つゴールへ傾れ込んだ。膝に手をついて「はあ・はあ・はあ」と二人とも息せき切った。河野先生は「無理せられんでえ!」と呆れた様子で周回遅れのデッドヒートを労った。授業が終わって、剣道部の部活のため部室に向かう。ガラガラと引き戸を引くと、壁に「県大会ベスト8進出おめでとう!」の花飾りの付いた張り紙が目に入った。5月末の県体は僕が勝っていたらベスト4に進出できたのにという気持ちの悪いものが心の隙間に入り込んできた。県体育大会で僕は補欠で県民体育館に来ていた。出場選手は1年の春市を除いて7人は2,3年生である。僕は時々中堅で起用されていた。3回戦、土佐高戦に勝ってベスト8進出が決まり、小津高との準々決勝が決まっていた。小津高は強豪なので勝っても3-2でぎりぎりである。ところが主将で大将の樋口さんが「はらいた」で急に出場できなくなり、監督の西野先生が「浦成!お前いきや!」と僕に告げた。「ぎょえー!」と僕は声を出してしまった。言われた瞬間「そんな殺生な!」と心臓が喉からせり出しそうになるのを堪えてガタガタと振るえる膝を押さえた。小津戦では西田と桃井さんが勝ったがあとは負け、2-2で予想通り大将戦に縺れ込んだ。小津の大将は樽井、180㎝はあろうかという巨漢である。樽井の上段は男谷清一郎の「刃隠しの剣」ばりに竹刀の先が見えないほど振りかぶっている。竹刀がどこらか出てくるかわかりづらい。一番狙いやすいのは突きだと思った。出てくるところを突こうと考えた瞬間、面横に樽井の竹刀が当たった。審判が旗を交差しながら横に振っている。「決まらなかったか!」と思いながら喉からせり出しそうになる心臓を元に収めた。胴ががら空きなので1歩踏み込んで胴を取りにいった。樽井は引きながら小手を抑えに来た。思いもよらぬ角度から竹刀が出てきて「パーン」「小手あり!1本!」と審判が旗を上げた。右手がしびれるほどの上段からの打撃だった。この後逃げ回り、とても隙を伺う余裕もなく結局時間切れになり、1-0で負けた。こうして僕の勝負弱さのため追手前は2-3で小津に敗れベスト4進出はならなかったのである。おめでとう!の張り紙の花飾りを撫でながら自身の労をねぎらい、剣道着に着替えた。

2021年

9月

12日

モッツアレラチーズ2 参拾玖

桜の花も散りました。栗の木には「こにゃにゃちわ!」るりかけす。2年生の新学期が始まってもう1ヶ月近く経つ。2年5ホーム、これが今度の僕のクラス名です。担任の先生は数学ⅡB担当の岡林先生。岡林先生は中年で小太りの、例えて言えば漫画「おそ松くん」に出てくる6つ子のお父さんの松野松造のような容姿の先生である。今数ⅡBの授業では数研出版の教科書の数列のところを勉強している。数列のところは今迄中学や1年生の時勉強したことが左程の影響もなく勉強できている。しかし、これから先、中学はともかく高1の数学の不理解が影響してくることは必至である。数学に関しては高1ですでに躓いている状況なので大学受験に関して理系から文系への転向を余儀なくされるかもしれないということが頭にある。国立理系から国立文系へ更に私立文系へと転がり落ち、結局岡山商科大か!と落ち行く成績を横目で見ながら計画だけはちゃんと立てている。どんどん増えていく本棚の学習参考書、最近は焦りが昂じて難しい通信添削にも手を出している。授業の密度の疑問を感じて授業時間中に内職をしようかと思う時もある。こうしてだんだん頭はノーテンホワイラーに。賢者は気付くこの愚かしさに!2時限目は富田先生の世界史の授業であった。この先生は面長、痩せ型、長身の漫才師風の風貌の先生である。先生は風変わりな授業を行った。なんと!授業の内容をカセットテープに録音し、カセットレコーダーを回しながら、カツカツと黒板に板書をし、最後にパピルスの形を体で表現して授業を終わったのであった。生徒は呆然としながら3時限目に備えた。授業が終わって、今日も部活である。部室に入ると幾人かの新入部員がいた。高校から剣道をし始めたものは青色の追手前のジャージーを着ている。ぽちゃぽちゃっとした肉付きの良い体の新入部員。本来こういう体つきは剣道向きかもしれない。「稽古せーよ!」という気持ちを抑えながら、励ましの言葉を口にした。剣道部は5月末の県体を目標にして稽古に励んでいるが、新入部員で起用枠の8人に入るものもいる。城東中学出身の春市がそれである。春市は県中学体育大会の個人戦の優勝経験がある剣士だからである。2年生の僕もうかうかしていると補欠の身になってしまうだろう。3年の前半までには昇段試験を受けて2段を取りたいと思っている。最近立ち合いの稽古の時、抜き技を試している。わざと隙を作って相手が打ってきたところを抜いて打つ技である、面抜き小手は、隙あり!と面を打って来たところを抜いて打ち損じると竹刀が下がり、小手が空くところを打つ。アイデアがヒットするとしばらくその技を磨けば試合でも通用するようになるのである。苦手な相手と稽古をすると気持ちは悪いがいろいろ考えるところは多い。ありがとう!ぶよぶよの体の豚児と思いながらこの日稽古を締めくくった。学校の駐輪場から自転車を飛ばして家に帰ると日蓮法華宗の道友の三谷さんのセドリックが駐車場に止まっていた。この車はテレビでロイ・ジェームスが宣伝していた車種である。3階に上がって、父の部屋に入り三谷さんに挨拶をした。三谷さんは中水道のお寺での話をしていた。お寺に来てマスクをかけてお題目を上げている信徒がいると知って、住職が奥から出てきて「お題目を上げるときはマスクを外さんかね!お題目は遠くまで聞こえるのがお題目。お題目を塞いだらいかん!」と言って奥へ帰って行ったという話を聞いた。「風邪をひいていたということでしょう!」と父が言った。三谷さんは「どんな理由があろうとマスクをかけてお題目を唱えてはいけないと住職は考えているのだと思います。」と言った。「ご本尊様を信じてお題目を唱えることですね!」と付け加えた。時々父や三谷さんから日蓮法華宗の信心の話を聞かされて、僕は影響を受けている。

2021年

9月

10日

モッツアレラチーズ2 参拾捌

桜は7分咲き。栗の木にはお元気よう!るりかけす。1年9ホームで集まるのも今日で最後だ。4月5日からは2年生として新学期が始まる。重松先生が第3回の実力テストの答案と席次表を皆に返した。科目は英・数・国で点数はそれぞれ36点、25点、68点。総合点129点、席次456人中155位。実力テスト1回から3回まで右肩下がりの成績だ。このままでは成績は順次下がって2年の終わりには正規分布のグラフの左半分の位置に達するに違いない。2年生からのクラス分けは理系コースと文系コースに分かれる。理系コースは国立大学理科系の受験に合わせたカリキュラム、文系コースは国立大学文科系に合わせたカリキュラムになっている。オリエンテーションで僕は理系のコースを選択していた。先生の話では毎年理系コースの方に成績上位の生徒が集まるので所謂偏差値の高い大学の受験を希望する者は理系コースを選択する方がいいということであったからである。この日重松先生から2年生のクラス分けが言い渡され、僕は2年5ホームに組み入れられることになった。1ホームから6ホームまでが理系で7ホームから9ホームまでが文系である。同じクラスの岡崎君や高野君などが2年生でも同じクラスということであった。今の成績では数学が悪すぎてとても理系の上位大学の受験は無理だ。数学の成績がよくない理由はわかっている。参考書の揃えすぎである。学校で指定されている教材だけをやればいいのだが、つい嫌気がさしては新しい参考書に変える。「もう何冊も買いましたね!数学Ⅰの参考書」。更にいい加減な性格の割に「パーフェクト!パーフェクト!」の完全癖が襲ってきては最初の「式と計算」からやり直すので何時まで経っても「式と計算」ばかり勉強しているからである。おかげで「式と計算」のところは無暗やたらと詳しくなっている。成績低迷の原因は参考書の揃えすぎに尽きていた。2年生のクラスも決まり部活へと向かう。剣道部も3学期から3年生は受験のため部活にあまり出てこなくなっていたので稽古の指揮が下がっていたが新学期からは樋口さんが主将で部を引っ張ることになっている。ぜひ今年は剣道部をひっくり返す志ある新入生が入部して、引き締まった筋肉質の剣道部を目指したい。5月には県体も控えている。南の体育館で稽古をした。剣道着のお陰で体の大きい筋肉質に着やせした、実はぶよぶよの体の西田と稽古をした。全く自然体のところがなく、やることなすこと逆な上にエネルギーが有り余っているので非常に稽古しずらい。見た目は普通に稽古をしているように見えるし、試合でも結構勝つのでどうしようもないのである。「こういう部員が多いと剣道部の精神が淀むなあ!」と思いながら気持ちの悪い稽古を終えた。夕方家に帰って、3階に上がり、ノックをして父の部屋に入った。クルミ材質の円形のテーブルの上に「長曾我部の土佐駒」という本が置いてあった。長曾我部元親は関ヶ原の時西軍に着いたが、その前に四国で豊臣軍に負けたのであった。その敗因が「土佐駒」だったのである。土佐駒というのは土佐の地方土着の馬のことである。この土佐駒に乗った騎兵隊が長曾我部軍である。対する豊臣軍は船で渡ってきた本州の馬に乗った騎兵隊である。この両者が戦い、長曾我部軍は敗れた。「土佐駒」が小さすぎたからである。長曾我部軍の「土佐駒」はロバのように小さく、足の短い馬で人をやっと乗せて走っているところ、大きい、足の長い本州産の馬に乗った豊臣軍に上から切り付けられほうほうのていで逃げ帰ったという。父はロバのように小さいこのユーモラスな「土佐駒」に興味を持っているのだろうかと思った。自室に戻ると弟が帰宅していて、いい色の尺八にはーはーと息を吐きかけながら布で光沢を出していた。

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