2017年

9月

22日

チョコ11

2017年も9月終盤となった。明日はお彼岸なので法要の為お寺に参詣する予定である。今年はパソコンの仕事が全くないので時々ブログを書いているだけである。日常生活に必要な事柄を淡々とこなしている。月1回お寺に参詣している関係で、朝夕お経を読み始めたのが少し変化したところではある。世の中では衆議院の解散が問題視されている。これといった理由もなく政局を有利に進めるための解散だからである。最近の政治はこういった解散などわかりにくい状況が続いている。政治が分かりにくいのはいい国のイメージが持てていないからである。国の進むべき方向が定まっていないということでもある。戦前日本は富国強兵、殖産興業というはっきりしたスローガンをもって進んでいたが大して富国にもならず近隣の国に迷惑をかける結果となった。戦後は新しい憲法で大がかりな軍隊が持てなくなり専ら経済的繁栄を目指して進み、貿易黒字を積み重ねた。その結果GDPは世界第2位あるいは3位となりそこそこの経済的富裕国になった。しかし数多くの課題を抱えておりいい国のイメージはできていない。消極的かもしれないが、悪いことが起こらない国がいい国だと思う。悪いことが起こらない国はすべてのことがいい方向に循環していくからである。悪いことは今の日本では枚挙にいとまがないほどである。天変地異があり台風や大雨による被害や時々起こる大地震で人命や家屋財産が失われている。また火事や交通事故といった人災も多く発生している。気象の状況が悪く海の潮流が変化したりすると農作物が凶作となり漁業も不漁となる。その結果、食物自給率が下がり他国からの輸入に頼らなければならなくなるのである。他国との交流が盛んであることは国の発展にとって良いこともあるが、外国のものや外国人の流入は国の安全、安心を脅かす部分もある。また、病人や動物の疫病などが多いことも問題である。国内での内戦などがないのは幸いであるが、北朝鮮にミサイルで狙われているし、国内でのテロなどは内戦と同じである。日本で起こる自然の災害や人的災害に対する科学的問題の解決策はいろいろと打ち出されている。河川の幅を広げたり、下水道を完備すると洪水を防ぐことができる。耐震構造の建物を建てたり、地震を予知することも有効な対策である。交通事故を防ぐために安全運転を呼び掛けたり道路を完備したりすることも問題の解決につながる。しかし多くの科学的な問題解決のための対策は功を奏してはいない。課題問題は山積し、いい国のイメージが持てなくなってきている。日本では科学的な問題の解決はかなり行き詰っている考えることができるかもしれない。仏教では国に災難が起こるのは謗法や破法の結果だと説いている。多くの国民がよこしまな考えを持っているとその行いは謗法・破法となっとなって国に災難をもたらすというのである。科学では万有引力の法則とか慣性の法則、電磁気の法則など目に見えない法則をを説いているが、実験証明ができる。仏教で説く法は実験証明ができないが、その理由は法が時間に関わっているからである。輪廻転生は不思議なので実験証明はできない。

 

2017年

7月

19日

チョコ10

このところ30度を超える真夏日が続いている。自宅は木造で比較的風通しがいいので窓を開け放しておくと扇風機だけで十分である。しかし、水分を補給していると汗がジワリと出てくる暑さではある。7月2日の都議選前のニュースで保守党の若手議員が秘書に暴言・暴行を加えたということが話題になり選挙結果に重大な影響を与え、保守党は大敗を喫した。問題視されている議員は現首相のチルドレンと呼ばれる一群の若手議員の一人である。チルドレンというのは親子関係を想起させる。日本では親方日の丸とか、国民は天皇の赤子のように人間関係の基本が親子関係であった。法律でも一昔前まで尊属殺規定があり、子の親殺しは重く処罰されていた。首相のチルドレンという呼び名もこうした日本の人間関係の在り方に由来するものであろう。親子関係では子供のしたことは親の責任が問われるのが通常である。法律上の責任は当然だがそれ以外にも道義的責任もある。人は子供を設けると親として子供の世話をしたり、他人様に迷惑をかけないように躾けなければならない。こうしたことが可能であるためには最近疑問視されている母性や父性に頼るだけでなく、親としての徳性が必要であると思う。やはり、子供のままでは親となる資格がないのである。仏教では仏の三徳ということを説いている。三徳とは主徳、師徳、親徳である。わかり易く表現するとすれば、主徳とは君主や大統領など上に立つ者の徳である。師徳とは先生など教導するものの徳である。親徳とは子となるものを慈しみ育てるものの徳である。いずれの徳も慈悲と共にある。物質中心で体がすべての世の中では徳性を育てることが難しい。アメリカのビジネスマナーは儒教の中身である徳性を抜き去り、外側の礼儀作法のみを利用して構成されている。慈悲を欠き徳性を欠く世の中は見かけはきれいに見えても中身は野蛮である。

 

2017年

7月

13日

チョコ9

九州地方では大洪水があり、多くの人が亡くなっているが、高知県地方では梅雨も明けた模様で夏空が広がっている。2017年になって早半年が過ぎたがコスモスPCサービス高知では未だに仕事が1件も来ていない。自営業をしていて仕事がしばらく来ないと自然に営業時間が長くなって、営業時間外も仕事を待つようになってくる。最近は1日中仕事を待っている感じである。会社勤めの人は仕事の時間と自分の時間がはっきり区別されていることが多いので自分の時間があるときに楽しみを持てば良い。苦あれば楽ありというものだろう。楽しみは通常、おいしいものを食べたり珍しいものを見たりして欲望を満たすということが多い。そこで楽しみを持つにはお金がかかることが多い。お金があまりないと楽しみを持つのが難しくなる。お金をかけて楽しいことばかりしている人は贅沢な人と呼ばれる。贅沢な人は次第にお金に支配されるようになるだろう。お金がなく、あくせく働いている人はやがてわずかのことにも楽しみを感じるようになってくる。貧乏暇なしではあるが、楽しみが深いのである。欲望の満足ばかり求めている人は欲深い人である。欲深い人は欲深くなった理由のために、満足することができないでさらに求める。その結果さらに欲深くなるのである。人の欲望は果てしないといわれる。欲が深く、多欲であると欲望が充足されないというストレスも更に果てしないのである。仏教では修行の結果は少欲知足として現れる。欲が少なくわずかなことにも満足するのである。ストレスが少なく、欲に振り回されない生き方ができる。近頃の日本の世の中は欧米の影響が強い世の中である。物質的に豊かで欲望を満足する手段も多い。反面ストレスが多く、変質した欲望を上手く満足することが難しくなっている。楽しみとか欲望の充足は外界の刺激の入り口である五感に頼るものが多い。五感は意識に影響を与え、時に楽しみとなるが人間は意識を理性によって統制し、損ずるものを避け益するものを選んでゆく。しかし、苦しかったことや楽しかったことは記憶の中に閉じ込められて無意識の底に沈んでゆく。理性は意識下に沈んでいてやがて浮き上がってくる混沌とした無意識の記憶を統制しようとする。無意識よりも深いところには無意識を浄化し、全てのものに繋がる法がある。人は楽しかったことをまた味わいたいと思い、苦しかったことを再び経験したくないと思う。楽は苦の種、苦は楽の種という世の中も不自由なものかもしれない。苦は苦として悟り、楽は楽として開いていくのが仏の教えである。

 

2017年

7月

09日

チョコ8

時々晴れる日もあるが、まだ梅雨は続いている。物価が上がってきて、仕事がないと生活費のことも考えなくてはならない。先頃、生活に関する国勢調査があったが、金をかける心配をしなければならないのは衣食住である。日常の生活では衣食住について深く考えることもなかったが、暇になってみるといろいろなことに考えが及ぶ。衣服は本来気候の寒暖差や外界からの刺激から体を保護するためのものだが、不格好な体を見栄え良く見せたり、装飾の働きもある。動物には毛皮などがあり、装飾性のあるものもあるので衣服は必要ない。儒教では「衣食足りて礼節を知る」と説いている。衣は人が人間らしいふるまいをするために1番に必要とされるものなのである。仏教では「僧侶の衣は恥を隠す」といわれている。このことは仏教では人間らしい心を磨くために修行をするが、人間の体は頭のてっぺんから足のつま先まで畜生と同じ畜身であるからである。畜身の恥を隠して修行をするのである。衣服は人間らしさとかかわりがあるのでおろそかにはできない。最近では衣服は贅沢を言わなければ安価に手に入るようになっている。しかし、先日の国勢調査の調査項目では衣服を整えるお金がない人が日本でも少なからずいることを示唆していた。破れた衣服を繕って着る習慣はなくなり、かえってファッションとなっている。「人はパンのみに生きるにあらず」という言葉が西洋にはある。人は生きるために食べる。食べるために生きているのではない。食は色を増すのである。ものを食べると欠食で青ざめていた体の血色がよくなり、血糖値も上がり頭の働きも良くなる。「食べるに事を欠く」とは生活ができないという意味である。日本では比較的食べ物の値段が高いので所得が低いと生活の中での食費の割合が大きくなる。エンゲル係数が高くなるのである。最近日本では生活保護世帯が増えて、エンゲル係数が高くなっている世帯が増えているようである。住まいは昔は雨露を凌ぐものであったが、今は高層のマンションがあちらこちらに立ち並んでいる。自宅は築53年の木造家屋だが母やネズミとともに暮らしている。雨露は十分凌げるが時々自宅を出てマンションを借りて仕事をするようにしている。生活が不如意であると礼節を欠き、人間らしいふるまいができなくなる。物質は生活のために必要であり、便利な生活ができることは人間らしさと矛盾するものではない。しかし生活をしていくのに必要な世間の法である法律や生活の慣習、世渡りの術などは浅い法である。深い法は仏の教えにある。深い法は浅い法に通じている。人は人らしい生き方を深い法に求めていく。

 

2017年

7月

01日

チョコ7

仕事が来ないので家にいることが多いのだが、家事や買い物は自分でしている。昨日も葛島のスーパーに食料を買いに行ってきた。買い物に行って気付くことは物価が上がっていることである。使うお金は限られているので食べ物も粗食になってきている。マグロの刺身はやめにして、はごろもシーチキンを食べている。都議選が明日なので食べ物のことを考えていると、争点となっている築地市場の豊洲移転問題が頭に浮かぶ。市場の食の安全の問題である。市場でのごく微量の6六価クロムなどの有害物質の存在が検証されたりしているが、実際の日本の食の安全性はブラジルから腐った鶏肉が輸入されてもわからない程度のものでしかない。日本では食の安全が重視されているが、外国ではそれほど重視していない国もある。そのこともTPPへの参加の懸念材料である。TPPに関してはアメリカの離脱や国内では農協などが反対しているが政府は頑として推進する姿勢である。「誰でも何でも食べられる世の中」というのがマスメディアのコマーシャリズムである。企業は世界各国のあらゆる食べ物を売ろうとしている。その最中で「地産地消」とか「医食同源」といったことも同時に考えられていくことになる。昔の小学生は学校給食を食べると体に寄生虫が住み着き虫下しを飲まされていた。やがて農業が進んで化学肥料や農薬が使われだしてそのようなことはなくなった。農薬には体に害になる成分も含まれているという情報もあって、無農薬野菜がもてはやされることもあった。日本では食の安全が重視され続けてきたが、外国との取引や規制緩和の中で沈んでいきそうな気配も見えている。食の安全性が損なわれると病気になる人が増えるが、病気になる原因は食べ物だけではない。仏教では病気になる原因をシンプルに説いている。人を取り巻く環境が良くないこと。日常生活の姿勢が悪いこと。食べ物や飲み物を十分摂れず栄養不足になること。節度のある飲食ができないこと。ウイルスなどの細菌が体に入ること。修行などの妨げとなる働きのため。悪いことをしたことに対する報いや謝罪のため。などである。心の在り様が良くなければ体のことだけ考えても健康にはなれないと教えている。

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