2018年

4月

26日

チョコ19

2018年

4月

16日

チョコ18

4月も半ばになって桜も散り、春爛漫の暖かさである。今年は2月には親戚が経営しているデイサービス関係の仕事が入り、3月は県外の寺に参詣などしていたので比較的活動的な暮らしになっている。テレビで世情のニュースを見たりするが、世の中は相変わらず浅く、早く動いているようだ。自民党の総裁選も近いということもあって首相の周辺が騒がしくなっている。一番問題になっているのは首相のご意向がかかったとされる案件についてお役人が不正をしたということである。お役人の仕事は法律に基づいて適正に手続きを進め、国会でできた法律を遵守させることであるが、お役人が本分に悖ることをしたというである。政治家にしてもお役人にしてもそれぞれの本分というものがある。本分を支えているのは最近使われない言葉だが、政治家魂であり、役人魂である。本文に悖ることをしているとこの魂は抜けていく。正確ではあっても魂の抜けたロボット政治やロボット行政になってしまうのである。そういう政治や行政は国民の生活を魂の抜けたロボット生活にしてしまう。以前日本では魂という言葉が良く使われていた。刀は武士の魂。一寸の虫にも五分の魂。日本人には大和魂があり、アメリカ人にはヤンキー魂があった。日本人があまり魂という言葉を使わなくなったのは最近の欧米化が著しいことを物語っていると思う。特に、アメリカのマテリアリズムの影響が著しいのである。マテリアリズムに虚妄はない。しかし正念もないのである。仮想はあっても実体は虚ろである。魂という言葉と共に最近あまり耳にしないのが徳という言葉である。お役人が本文に悖ることをすると役人魂が抜けていくのも徳というものが失われるからである。アメリカのマテリアリズムに関連してAI(人工知能)というものがあちらこちらで喧伝されている。AIに魂を吹き込むのは人である。悪鬼が身に入った人にAIが操られる可能性は常にあるのである。AIというものは人の利便性に供するものである。人の生活を魂のないものにする為のものではない。AIに力があって、人の世が支配されるとすればそれは本末転倒の事態である。さかさまに事が進んでいく。仏教では「本尊」というものを置くことがある。「本尊」は曼荼羅であることもあれば仏像であることもある。仏作って魂入れずという言葉があるが、「本尊」は建立した人の魂と関わっている。「本尊」に手を合わせることはそれを建立した人との魂の連動をすることである。

 

2018年

3月

27日

チョコ17

3月も終わりが近づき、桜の開花とともに今年も春が来ている。24日、25日といつも参詣している寺院の宗派の本山へ参詣してきた。本山は静岡県の富士宮にあり、日本一の富士山の麓にあるお寺ということができる。その日は晴れており、本堂の庭から見える富士山は今までに見たことの無いほど見事に冴えわたっていた。本山への参詣は「登山」と称されているが、往復は高速バスで18時間揺られて行く強行日程であった。当代のご時世では宗教は科学信仰者に押され気味ではあるが、日本では仏教や八百万の神々を信じる人も根強く残っているのである。行きかえりのバスの中で隣に座り合わせた人と最近の世情について語り合ったが、今の首相の周辺が騒がしいという話が出た。首相の悲願とされる現行憲法の改正に思いが至る。日本国憲法は施行され始めてから70年余りの歳月が経過しているので社会の実情とそぐわないところも出てきている。一番問題視されて、改正の対象と目されているのが憲法の施行直後の世界情勢により存在し始めた自衛隊のことである。戦争放棄を謳っている現行憲法の条文に自衛隊を明記するのである。日本国憲法は自主憲法ではないので、改正が戦前の日本のような状況へと回帰するきっかけになるのではないかということを懸念する向きもあるのかもしれない。二次大戦末期の危機的な状況の日本では国体護持ということがいわれていた。思想を統制して、国体を統一し、天皇制を保持するということである。追い詰められた日本が危険思想を排除して、一心同体になろうとする試みであった。懸念されているのは日本という国の状況が危機に陥ると昔歩んだ道に容易に回帰しうるという事であろう。これは島国の日本が一心同体を目指しながら、実は同体異心になっているということに変わりはないからある。思想統制は常に失敗に終わる。同体異心では物事を成し遂げる力は集まらないのである。歴史は繰り返すといわれるが、これは国でも個人でも悪い習いを改めるのが難しいからである。悪い習いを改めるのが難しいのは日本だけでなく他の国も同じである。アヘン戦争はつい昨日のことであった。仏教では身(しん)・口(く)・意(い)の三業ということが教えられている。振る舞い、物言い、思惟という3つによって、人の業が作られて行き、習いとなり性となるのである。法を謗ずること、うそをつくこと、よこしまな思いは悪業を作っていく。悪業の積み重ねの結果できた習いは容易に改めることができないのである。この習いを改められるのは厳しい修行でしかない。悪い習いを改めるのが難しいとしても日本に求められているのは一心同体ではなく、異体同心である。異体同心とは一人一人異なる国民が私を虚しくすることもなく同じところに心を置くことをいう。

 

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2018年

2月

09日

チョコ16

2月に入った。南国高知でも寒い日が続いている。関東や北陸では大雪で交通が麻痺したりしている地域もある。4日に徳島のお寺で高知のお寺と合同の集会があったので参加させていただいた。寒いとはいうものの高知市街では雪が積もることはない。徳島方面では山間部で雪が積もっており、徳島のお寺へと向かう高速バスは時折雪に見舞われた。徳島へ行くと同じ四国の県ではあるが何となく高知との違いが分かる。徳島は高知と比べると地味なのである。高層建築物が少なく木造の1戸建てが多い。ハイカラな飲食店やレジャー施設なども高知では馴染んでいるのに徳島では浮いている感じがする。徳島の街並みを見ていると最近の世の中の変化が一様に進んでいるのではないのを実感する。土地柄というものがあるのであろう。個人経営のコスモスPCサービスでは1件仕事の予定があるが、これが今年の初仕事である。世界的なパソコン販売の状況は今年は良くなると予想されている。しかし、世の中が軽薄短小を指向しており、スマートフォンやタブレットが主流であることに変わりはない。軽薄短小が指向され始めたのは日本では高度成長期の終わり頃で造船や製鉄といった重厚長大な産業から軽薄短小の電子機器や半導体などのハイテク産業へと重心が移っていったことに端を発しているようである。軽薄短小ということは現在では世の中の風潮を作り出している。軽くて持ち運びが簡単、自由に移動できる。薄くて小さく場所を取らない。手間がかからない。しがらみがない。関わり合いが希薄である。拘束性が弱い。反面、吹けば飛ぶような、絆がない、軽薄な、実体感が薄い、真実味がない、などのマイナスイメージもある。最近話題になっている仮想通貨なども軽薄短小と同じ指向のベクトルを発している。必要性を否定できないにしても、実体が虚ろな人工的バブルなのである。最近の世の中は虚実または細工と自然が溶け合って存在しているような状況を呈している。権威や伝統といった重厚長大な方向性のベクトルも根強く放たれてはいるが世の中は浅く速く動いている。世の中は移り変わってゆくが、実体のある実相は過去から現在そして未来へと存在し続けていく。虚ろなバブルは世の中とともに生まれては消えてゆく。仏教では釈尊の入滅を基準に正法・像法・末法という時代の違いを説いている。正法時代1000年、像法時代1000年、それ以後は末法である。現在は末法時代に入って約1000年になる。末法というのは釈尊に縁のない人が生まれてくる時代のことで、本来救いようのない人が生まれてくる時代なのである。正法・像法時代の人に比べると物覚えが悪く、平気で嘘をつき、根性が曲がっている、そういった人々が生まれてくる悪世である。正直者の頭には神が宿るという言葉が日本にはあるが、末法には正直者が少ないのでこういう言葉もあるのである。先頃、日本の由緒ある神社の神主が殺人事件を起こしたが、この神主の頭には神ではなく悪鬼が宿っていたに違いない。日本の宗教界の惨憺たる有様を象徴する事件だと思う。末法に生まれてくる人は正直で素直な人柄になるのが難しいので弛まぬ修業が必要なのである。

 

2018年

1月

06日

チョコ15

2018年も6日目に入った。今年のお正月は比較的穏やかに幕が開けた。元旦はほうれん草入りの雑煮を作って食べたり、弟が年始の食べ物を持ってきてくれたりして、珍しく母と3人、家族で過ごした。

コスモスPCサービス高知では去年仕事が1件しかなかったので、今年は営業活動を少ししなければならないかもしれない。世の中では株価が上がって景気が良くなりそうに構えているが、その実体はよく見えていない。実体の良い経済ではお金は使いでがあるのである。吹けば飛ぶようなお金はすぐになくなってしまう。日本の経済も世界経済の強い影響下にあるからというだけでなく、交通や通信網の発達により,あるいは国際紛争によって生じた移民や難民の増加によって進んでいる欧米のグローバル化の波はやがて日本にもやってくるだろう。世界的なグローバル化の時期は視点を変えると各国のアイデンティティーを模索する時期でもある。イギリスのEU離脱や偉大なアメリカを取り返すという大統領のスローガンも経済だけではなく国のアイデンティティーということが関わっていると思う。交通や通信網の発達によって、各国間の人の移動や物流が世界規模になり外国人が頻繁に出入りしたり、定住するようになっても、各国の気候風土や民族性さらに歴史や伝統に変わりはないのである。グローバル化が進む中で国のアイデンティティーというものを深く模索する必要がある。国において大事な地位にあるのは国主である。国主は昔、国王である女王陛下や天皇陛下であったが、現在の欧米や日本は総じて民主主義国なので主は国民、あるいはそれを代表する大統領や総理大臣となっている。国主が賢主で頼もしければ、世の中では道理が勝つので国は安全で平和な国となる。国主が愚主で儚ければ、世の中では非道がまかり通るので混乱し、下克上となるのである。私の参詣しているお寺では仏法を基礎として「立正安国」を目指して日々仏道修行や布教に努めている。国の主である国民の一人、一人が賢くなって道理にかなう考えを持ち、慈悲や徳のある振る舞いをすれば安全で平和な、外国にも1目置かれる国になるのである。

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