2019年

1月

13日

チョコ26

新年になってもう2週間になろうとしている。まだ仕事は来ていないが、正月気分はとうに抜け出している。6日に徳島にあるいつも参詣しているお寺の宗派の寺院で布教推進のイベントがあったのでバスに乗って出かけた。同じ仏教でも当宗派では他宗派の僧侶のように羽目をはずしたような態度を取るご僧侶はおらず、謹厳実直な方がおおい。法話も現代的なテーマを追いながら深い法門をわかりやすく説かれる。当宗派のご僧侶方は仏教の法を下げるような態度はなさらないのである。最近世間で僧侶が僧衣を着て運転をしていいかということが話題なっているが、時代は変わっても僧侶が社会的に尊敬される立場であることに変わりはない。仏教のイメージを落とし法を下げるようなことは厳に慎むべきである。世間的な話題としてJALのパイロットの飲酒問題があがっている。昨今は自動車の飲酒運転でも極悪行為とみなされている。数百人の命を預かるパイロットの飲酒操縦は世間的にも問題外のはずである。昨今の世間に浸透している物質主義は欲望の充足を第1の目的として広がってきたので社会的に責任の重い人もこの洗礼を受けているのである。表向きは世間で立派な評判を保っている人も影では過度の飲酒などで羽目をはずしているのである。物質主義が浸透している世の中では物質的には何でも手に入るので、特に精神的な清浄さを求めなければ大した窮屈さはないはずなのであるが堕落していくのである。窮屈さを与えるのは法律や世間のルール、しきたりあるいは抽象的な常識といったものである。羽目をはずして堕落したいができない時、逆のベクトルの方向に舵を切る。すなわち、積極的に常識やタブーを破るのである。こういう態度はいい結果をもたらさないことが極めて多い。例を上げると精神病の真の自己の表出、犯罪の着手における犯意の飛躍的ひょうどうである。精神病の発病や犯罪の着手に結びつく、逆のベクトルを利用した堕落である。物質主義の世の中では常識を破るとか、重要なタブーを破るとかいうのは羽目外しの口実であることが多いのである。法やルールは保っていかなければならないのである。仏教的には時が現代は末法に位置している。末法では表立った戒律は不向きであるということが説かれている。私が参詣しているお寺の宗派は戒律という意味では無戒と言える。仏教でも小乗教では250戒といった厳しい戒律を説き、戒律を守ることで灰身滅智(けしんめっち)と言って、煩悩や迷いのもとである身を灰燼に帰するほど律し、思いを滅することで解脱しようとしたが、現代の物質文明の社会には不向きなことは理解できる。キリスト教やイスラム教でも厳しい戒律を守ることが現代では不可能であることは感じているだろう。どのような聖者も世の影響を免れることはできないからである。聖職者が隠れて羽目をはずして見つかり問題になるのはこのためである。末法では身を滅するほどの戒律を守って自己を律し、清浄な生き方をするのはほぼ不可能である。最も深い法によって戒(かい)・定(じょう)・慧(え)の三学を保たなければならない。

2019年

1月

07日

チョコ25

平成31年に入ってはや1周間が過ぎた。平成も後4ヶ月で終わる。今年も年頭からお寺に参詣している。今年も仕事が少ないとお寺に参詣することの多い1年となるだろう。年末に報道番組で平成年間の政治経済のニュースを特集していたが、日本長期信用銀行の顛末が気になった。日本長期信用銀行に政府が投入した資金額は4兆円でアメリカの投資ファンドに売りに出した金額は僅か10億円だという。アメリカの投資ファンドを中心とする投資組合はこの投資を機会にこの銀行を新生銀行として再建し5000億円の利益を得、その間そごうなどの会社が犠牲になったと伝えていた。なにか日米の経済関係を憶測させるような報道である。平成のはじめにかけての好景気はバブルによるものだったので後の経済はスタグフレーションなどと言われ長期の不景気が続いた。現在の日本の経済はアベノミクスで通貨量を増やしたり、金融緩和をしたりといった経済政策を実行した結果、株価は比較的高値で安定し、物価も間違いなく上昇している。この先、2020年の東京オリンピック、2025年大阪万博まで景気を浮揚する材料はある。しかし、見かけの景気の良さと実体経済のズレは問題であろう。景気を浮揚する材料がなくなって、バブルが弾け実体経済が顕になったときに肝心の経済の自然回復力がないということになれば平成当初のようなスタグフレーションによる長期の景気の低迷といった状況にならないと言えるだろうか。経済をシステム化しようとして経済の自然なあり方に手を加えると場合によっては経済の自然回復力が弱くなってしまうのではないかと懸念される。まさか前のバブルのことを忘れ去ってはいないだろう。経済の基礎が人間の自然な欲求にあることはアダム・スミスの時代と変りはない。経済の自然なあり方を大事にしながら経済のシステム化を考えるべきであろう。経済だけでなく政治や色んな分野でシステム化が行われている。自然なあり方や流れといったものを大事にしながら人工的な手を加えなければならない。人工的なシステムというのは記憶力を低下させ、記憶喪失の方向に向かわせるものである。自然なあり方や流れは記憶に残りやすいが人工的なものは忘失しやすいからである。社会のあらゆる面で記憶力が低下し、記憶喪失の方向に向かっている。フィットネスのためにマラソンなどのスポーツで全力疾走して記憶を喪失し、現金を使わないキャッシュレスにしてお金のことを忘れ、LPレコードをCDにして原音を忘れようとしている。仏教によれば末法時代である現代社会に生まれてくる人はもともと物覚えが悪く生まれついているのである。末法時代は記憶喪失の時代である。これは情報の殆どが虚妄であるからである。テクノイノベーションと称するものが実在感のないおびただしい量の虚妄を記憶装置に保存する。実を伴う情報は多量のの虚妄の中で判別が難しい。記憶喪失の時代は無責任の時代でもある。記憶力が悪い者は反省心が弱い。すぐ忘れるからである。反省心のない者を仏教では一闡提(いっせんだい)という。わかりやすく言うと悪人と言う意味である。世の人が悪人ばかりの世の中は当然地獄のような世の中である。世の人は自然のあり方や流れというものを大事にしながら人の居場所を整えていく必要がある。記憶は蘇らなければならない。

2018年

12月

29日

チョコ24

今年も残り3日となった。1年を振り返り、来年を展望する。今年もコスモスPCサービス高知の仕事は数えるほどしかなかったが、ホームページを見て来てくれた顧客の仕事が2件あった。仕事が少ないと足はお寺に向いている。1月のうち半分はお寺通いであった。自立の基礎は仏教なので仕事は年金と合わせて生計が立てられればよいのである。来年も生活に関して世の中の動向が気になるところである。5月に新天皇が即位して、元号が改まる。7月には参議院選挙が行われる。ここ6年ほど安倍首相がリーダーシップを取って、経済政策を中心とする政府主導の改革なが続いているが、次の参議院選挙は最後のハードルとなると思われる。世の中は世界的にけじめのつかない状況になっている。けじめがつかないというのは構造が見えづらくなっているという意味である。東西の冷戦終結後の欧米自由主義諸国と旧共産圏の経済協力などもあって、経済がシステム化の方向に向かいグローバル化が進んできた。一方、アメリカとイスラム圏との紛争の結果、難民や国を捨てる人が増え世界的に国家の垣根が低くなり、グローバル化を推し進めている。しかし、日本での沖縄の米軍基地建設問題を見ても冷戦時の対立の構造は深いところでなくなってはいないのである。グローバル化が進むにしても国家がなくてはならないことは明らかである。グローバル化は浅いところで起きており国家の存在は深い所にあるからである。日本は来年防衛予算を増やして、アメリカ製のF35を購入するが軍備を増強しても日本人が拉致されるような国防の仕方では駄目である。国防は国民の安全な生活のためにあるからである。日本は主権国家意識が低下し、明確な自立意識が持てていない。日本だけでなく韓国をはじめ多くの小国がそうであろう。世の中のけじめが弱くなっている。仏教では人は世の中の正見というものを守っていかなければならないと教えている。世間の正見というものが破壊されると世は無間地獄の様相を呈するようになるのである。正見というのは世間が移り変わっても変わることのない正しいものの見方考え方というほどの意味である。今年はメディアのフェイクニュースなども取り沙汰され、メディアを中心に真実や事実は揺らいでいる。来年はぜひ姿勢を改めてもらいたいものである。仏教では現代は末法という時代に位置している。末法というのはお釈迦様の白法が隠没(おんもつ)してしまう混沌とした時代である。この時代の本質は闘諍堅固(とうじょうけんご)である。わかり易く言うと弱肉強食の時代ということである。欧米の自由競争主義はまさにこの末法にマッチした考え方であった。見せかけが平和で平等に見えても深い所にある時代の本質は変えられないのである。時代の本質を捉えた平和や平等は最も深い法によらなければもたらされない。仏教は三大宗教の中でも最も深い教えである。

2018年

10月

20日

チョコ23

10月も後半になって、やっと秋らしい気候になってきた。現在親戚からの仕事が1件入っているが、仕事に従事している時間は短く、時折のお寺通いが続いている。先達て沖縄県知事がなくなり、次の知事を決める知事選が行われた。その結果、前知事の遺志を受け継ぐ候補が当選して、知事となった。前知事の遺志とは沖縄辺野古へのアメリカの基地移設を阻止することである。アメリカが沖縄に基地を置くのは、旧共産国である中国やロシア、北朝鮮といった国に対する極東の軍事的防衛のためである。日本政府がこのアメリカの要求を拒否して沖縄から基地をなくすためには日米安保を前提として、日本が軍事的に自立して自衛隊による極東の防衛ということを考えなくてはならないだろう。日米対戦における敗戦から70年立つが、最近は日本の自立あるいは主権国日本ということが取り沙汰されなくなっている。日本の国家的自立ないしは自律性は最近のグローバル化の中で非常に重要な問題である。交通機関の発達や世界経済のシステム化、アメリカやイスラムを中心とする紛争に起因する移民の急増で国家間の行き来が今までになく増え世界中にグローバル化の波が押し寄せている。グローバル化とは多様化である。日本でも少子化などにより経済構造の変化が予想されるのでグローバル化の波動が押し寄せることは必至である。多様化の中で一番重要なことは健全な自律性や独自性である。自律性が保てなくなるということは自律性を支えている戒めが弱くなるということである。そうなると多様性の渦の中に埋没して暗中を彷徨わなければならなくなるのである。卑近な例を上げれば先日カナダでマリファナが解禁されたことが日本にも関わってくるほど日本の自律性は心許なくなっているのである。日本は中国やロシアといった旧共産大国や軍事的、、経済的更に文化的に多大の影響力のある米国から自立して主権国家としての面目を保たなくてはならない。日本という国の主権を意識するためには国民の間に瀰漫(びまん)すべき新日本主義といったものが必要になってくるのかもしれない。健全な自律性が保てないのは自浄能力がないということが1因である。自浄能力がないと健全な自律性は養われないからである。日本の政治や経済、その他の団体は時々問題が事件となって現れ、その結果世論にその体質が晒されてから形だけの謝罪をしてお茶を濁すという体なので自浄能力がないのは明らかである。国民の自浄能力、更に個々人の自浄能力はどこに求めるのか。世の中では自浄というと主にストレスの解消や除去を意味すると思う。最近のストレス解消の手段はスポーツやダンスで体を動かしたり、ゲーム、音楽などでストレスを発散するといったものであるが、飲酒やドラッグなどは自浄ではなくて自毒である。自浄というのは本来心身の穢(けがれ)を消し去ることに違いない。仏教では昔から六根清浄ということが言われている。六根というのは耳根(にこん)・眼根・舌根・鼻根・身根・意根である。根というのは感覚や意識の入り口のことである。意識や体の感覚が清らかになることを六根清浄というのである。本来、自浄能力というのはこの六根清浄のことである。私が通っているお寺では端座しての読経・唱題(お題目を唱えること)によって六根清浄の手段としている。仏教での自浄と言うのは単にストレスを消し去るということではなく、命の濁りを澄ますということである。命の濁りが澄めば、すなわち六根清浄となるのである。命の濁りとは貪(とん)・瞋(じん)・癡(ち)の三毒であり、各々むさぼり、いかり、おろかという。この三毒を薬に変えエネルギーを引き出す作業が自浄ということなのである。煩悩を離れて菩提(成仏)に達するともいう。スポーツなどのストレス解消手段が自浄能力に繋がらないのはスポーツ界などで起きている事件などを見れば明らかである。自浄のないところに健全な自律はないのである。

2018年

9月

15日

チョコ22

9月半ばになり、幾分暑さが和らいでいる。猛暑がされば、胃の具合も回復するだろうと期待していたが大分良くなってきた。 最近はパソコンの仕事がほぼないので、お寺に参詣することがが多い。23日にはお彼岸の法要があるので、お墓に立てる塔婆を住職さんにお願いした。今の御時世は先祖を供養するという意識が薄く、彼岸の墓参りすらしない人も多いと聞く。日本人は魂の帰属先をどこに求めるのだろう。今の首相が総理大臣になって、今度3度めの総裁選挙があるが、日本の社会状況も変化が早くなっている。このところ衆参のねじれがないので法案が通過しやすく、政局の混乱は少なくなっている。反面、カジノ法案など2,3気持ちの悪い法案を政府与党は通してきている。気持ちが悪いというのは法案の性質上反対者が多いはずなのに野党の大した抵抗もなくすんなりと通ったという意味である。政治行政は経済の数字は良くなっているが、ふるさと納税の制度など内外で気持ちの悪い雰囲気を醸し出している。気持ちの悪い雰囲気が出てくる原因は首相や、大臣がよく口にする言葉だがまさに、「不徳のいたすところ」なのである。世の上に立つ人は日々必要な徳目を忍耐を基礎として守り徳を積んでいかなければ、不徳のいたすところ、気持ちの悪い雰囲気を醸し出す結果となるのである。スポーツ界でのパワハラなどでも指導者層の後進に対する徳のなさが目立っているが、指導の基本的なあり方の問題であると思う。仏教では仏の三徳を説いている。親徳、師徳、主徳の三徳である。この三徳の中で親徳というのは母(悲母〙の愛、父(慈父)の厳しさを言い、慈悲のある厳愛(げんない)を表している。世間的に言えば、子供を育てる上で必要な両親の資質である。仏の仏弟子に対する教導のあり方はこの厳愛に基づくものである。仏は慈愛を持って仏弟子を教導するが、時には殺しかねないほど厳しい教導になる場合もあるのである。仏弟子の成仏が望めないからである。こういう仏教での教導のあり方は世間的な教導にも一脈通じるものがあると思う。難しい技術や知識を習得させたり、直らない欠点を直すために思いの外厳しい指導となる場合もあると思う。しかし、指導者側に後進を思う徳や慈悲がなければ世にパワハラなどの気持ちの悪い雰囲気を醸し出すのである。

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