2018年

9月

15日

チョコ22

9月半ばになり、幾分暑さが和らいでいる。猛暑がされば、胃の具合も回復するだろうと期待していたが大分良くなってきた。 最近はパソコンの仕事がほぼないので、お寺に参詣することがが多い。23日にはお彼岸の法要があるので、お墓に立てる塔婆を住職さんにお願いした。今の御時世は先祖を供養するという意識が薄く、彼岸の墓参りすらしない人も多いと聞く。日本人は魂の帰属先をどこに求めるのだろう。今の首相が総理大臣になって、今度3度めの総裁選挙があるが、日本の社会状況も変化が早くなっている。このところ衆参のねじれがないので法案が通過しやすく、政局の混乱は少なくなっている。反面、カジノ法案など2,3気持ちの悪い法案を政府与党は通してきている。気持ちが悪いというのは法案の性質上反対者が多いはずなのに野党の大した抵抗もなくすんなりと通ったという意味である。政治行政は経済の数字は良くなっているが、ふるさと納税の制度など内外で気持ちの悪い雰囲気を醸し出している。気持ちの悪い雰囲気が出てくる原因は首相や、大臣がよく口にする言葉だがまさに、「不徳のいたすところ」なのである。世の上に立つ人は日々必要な徳目を忍耐を基礎として守り徳を積んでいかなければ、不徳のいたすところ、気持ちの悪い雰囲気を醸し出す結果となるのである。スポーツ界でのパワハラなどでも指導者層の後進に対する徳のなさが目立っているが、指導の基本的なあり方の問題であると思う。仏教では仏の三徳を説いている。親徳、師徳、主徳の三徳である。この三徳の中で親徳というのは母(悲母〙の愛、父(慈父)の厳しさを言い、慈悲のある厳愛(げんない)を表している。世間的に言えば、子供を育てる上で必要な両親の資質である。仏の仏弟子に対する教導のあり方はこの厳愛に基づくものである。仏は慈愛を持って仏弟子を教導するが、時には殺しかねないほど厳しい教導になる場合もあるのである。仏弟子の成仏が望めないからである。こういう仏教での教導のあり方は世間的な教導にも一脈通じるものがあると思う。難しい技術や知識を習得させたり、直らない欠点を直すために思いの外厳しい指導となる場合もあると思う。しかし、指導者側に後進を思う徳や慈悲がなければ世にパワハラなどの気持ちの悪い雰囲気を醸し出すのである。

2018年

8月

25日

チョコ21

猛暑の8月も終わりが近づいてきた。7月、8月の猛暑のために胃の具合が悪くなっているので市販の漢方系の胃腸薬を服用している。9月になって涼しくなれば胃の具合も良くなるだろうと期待している。薬を服用するのは体の自然回復力を補助するためである。胃は自ら胃壁の荒れを修復する力があるが薬を服用すればその助けとなるのである。最近、この人体の自然治癒力という言葉がメディアの情報ではあまり使われなくなっている。投薬や手術などの医療行為は人体の自然治癒力を助けるものでしかない。メディアは科学万能主義の宣伝のために世論操作をしているように思える。ガンを早期発見し、手術して患部を切除すれば前と同じ生活ができるという言い方をする。しかし、飲酒・喫煙といった生活習慣などが原因で病気になっている人は生活習慣などを改めなければまた同じ病気になるのである。医療行為だけでなく、いろいろな社会生活の面で科学万能主義が横行し、メディアによって喧伝され、自然な流れや自然の力を無視する傾向があるように思われる。科学的なものの見方や考えは自然の法則を基礎にしていることが多いと思うが、自然法則を浅く思惟できる範囲に限られており、深く確かに捉えることはできないのである。こういったメディアの態度はスポンサーの資本の傾向性と発信元を想像させる。個々の国のメディアはそれぞれ異なるだろうが、重大なトピックでは世界中のメディアが情報を共有できる状況にあると思われる。事実が正確に伝達されることが今ほど重視されなければならない時代はかつてなかった。世の中が今までになく緊密化しているからである。メディアの巨大資本に阿る情報操作は世の中の混乱を招いている。マスコミによって様々な情報が伝達されているが、科学万能主義への偏向の感は否めないように思える。仏教では善知識・悪知識ということが教えられている。人を仏法へと正しく導く人や事柄を善知識といい、仏道から外れ悪道へと落としていく人や事柄を悪知識という。世の中ではメディアは善知識となることを心がけなければならない。科学万能主義に偏向する番組や報道は世の善知識とはならず、悪道に導くものだと思う。欲望は満足されないのである。小欲知足へと導くことが善知識である。

 

2018年

6月

13日

チョコ20

5月の末から梅雨に入っているが、今日は洗濯日和である。このブログを書くに当たって、OSをWinsdows10からUbuntu18.04に変えた。変えた理由はOS市場でのマイクロソフトの独占支配が長いのでWindows10に至って個人のユーザーにとってはいろいろな面での強制力が強すぎると感じるからである。一方、Ubuntuは数年前利用したときと比べると格段にGUIの操作性が良くなっている。ブラウザのFire Fox,メールソフトのThunder Birdは使いやすいし、プリンタドライバのインストールも簡単でマイクロソフト・オフィスとの互換性もよい。インターネットとメール、簡単なビジネス用途であれば単純な操作しかできないとは言え、Windows10よりも軽くて使い易い。さて、昨日はテレビのニュースで米朝会談を見た。朝鮮半島の非核化に向けての話し合いが行われて、米朝の共同声明が出た。しかし、非核化に向けての合意がなされたにとどまった。日本にしてみると、ミサイルの危険も拉致問題も全然解決の方向には向かっていない。日本は、この他にも北方領土をロシアに我が物顔で利用されているし、竹島などの領土も脅かされている。更に、日本国内では開かれてきたといえば聞こえはいいが、外人労働者が128万人を数え、中国人には埼玉県の街を占拠されたり、日本の大学を受験のターゲットにされたりしている。安倍首相は国難突破解散ということで選挙に勝利したが、日本の国難は重なるばかりである。こういう国難を仏教では他国侵ぴつの難と言う。国がこういう難に遭うのは国の指導者層の悪思想による。指導者層の徳が薄く、世俗の垢が積み重なっているので天が守らないからである。その元となっているのは忘恩であろう。親や先生や指導者の徳が薄く、恩というものが忘れられているからである。日本は忘恩の国になっているのである。その昔日本は仏教を国教のように重視していた。鳴くよ、鶯平安京だったのである。日本は島国でありながら、昔から争いごとが絶えないが、仏教を国教のように重視していた時期は平和な暮らしをしていたのである。これは仏教が善い思想だからである。指導者層が善い思想によれば、国には徳が重なり天がこの国を守るので国は平和になり、他国から狙われることもなくなるのである。鎮護国家というのは武力よりもむしろ仏法の仏力・法力で国を守ろうとする国の呼び名である。国難は新鎮護国家によって回避できるに違いない。

2018年

4月

26日

チョコ19

今日は4月の末にしては気温が上がっている。空は晴れて、すこし暑さを感じるほどである。コスモスPCサービス高知は開業してから6月で5年になるが、当初から仕事はほとんど増えていない。関係のあるところからぽつりぽつりと仕事が来る程度である。最近はお寺に参詣することがあり、朝な夕なにお経を唱えたりしているので例年ほど暇ではない。パソコンサービスの仕事も今年2件目の仕事が入り、2年ほど前のヒューレットパッカードのノートパソコンの診断の仕事をした。診断の結果、メモリとハードディスクが故障していたので交換し、Windows10のホームエディションをインストールして無事復旧した。この頃の世相で気になっていることは、お役人のセクハラ疑惑、政治家の不適切行動、お医者さんのあおり運転、人気タレントの強制わいせつなど世間的に尊敬され、高額の報酬を得ている人の不行跡である。これらの人々が世間から尊敬を受け、高額の報酬を受けているのはひとえに国というものがあるからである。最近あまり耳にしない言葉ではあるが、国の恩ということを知る必要があると思う。その他大勢の国民みんなにしても人として生活ができているのは国というものがあるからである。当然国の恩というものを知らなければならない。国の恩を知るということは愛国者になれという意味ではない。住んでいる国土を住みやすい所にしていくように努めることである。一頃、日本に核ミサイルを撃ち込むと脅しをかけていたどこかの国の指導者の名前にこの恩という一字が入っているのは偶然であろうか。指導的な立場の人が国の恩を忘れ忘恩の徒になると国全体が忘恩国家になり易いと思う。忘恩国家は他国に狙われるのである。仏教では仏道修行の基礎として報恩ということを教えている。恩を知らないというのでは仏道を歩んでいくことが難しいのである。恩に関して仏教典では四恩ということを説いている。一切衆生の恩、父母の恩、国王の恩、佛・法・僧の三宝の恩という4つの恩である。仏法では四恩を説いて、業による浅い世間の差別を離れて真の平等性を表している。さらに、殊に大事であると思うのは主・師・親の三徳への報恩と国への報恩である。国の恩を報じるとは立正安国ということである。立正安国とは正しい仏法を護持し、国土を住みやすい国土にするということである。

 

2018年

4月

16日

チョコ18

4月も半ばになって桜も散り、春爛漫の暖かさである。今年は2月には親戚が経営しているデイサービス関係の仕事が入り、3月は県外の寺に参詣などしていたので比較的活動的な暮らしになっている。テレビで世情のニュースを見たりするが、世の中は相変わらず浅く、早く動いているようだ。自民党の総裁選も近いということもあって首相の周辺が騒がしくなっている。一番問題になっているのは首相のご意向がかかったとされる案件についてお役人が不正をしたということである。お役人の仕事は法律に基づいて適正に手続きを進め、国会でできた法律を遵守させることであるが、お役人が本分に悖ることをしたというである。政治家にしてもお役人にしてもそれぞれの本分というものがある。本分を支えているのは最近使われない言葉だが、政治家魂であり、役人魂である。本文に悖ることをしているとこの魂は抜けていく。正確ではあっても魂の抜けたロボット政治やロボット行政になってしまうのである。そういう政治や行政は国民の生活を魂の抜けたロボット生活にしてしまう。以前日本では魂という言葉が良く使われていた。刀は武士の魂。一寸の虫にも五分の魂。日本人には大和魂があり、アメリカ人にはヤンキー魂があった。日本人があまり魂という言葉を使わなくなったのは最近の欧米化が著しいことを物語っていると思う。特に、アメリカのマテリアリズムの影響が著しいのである。マテリアリズムに虚妄はない。しかし正念もないのである。仮想はあっても実体は虚ろである。魂という言葉と共に最近あまり耳にしないのが徳という言葉である。お役人が本文に悖ることをすると役人魂が抜けていくのも徳というものが失われるからである。アメリカのマテリアリズムに関連してAI(人工知能)というものがあちらこちらで喧伝されている。AIに魂を吹き込むのは人である。悪鬼が身に入った人にAIが操られる可能性は常にあるのである。AIというものは人の利便性に供するものである。人の生活を魂のないものにする為のものではない。AIに力があって、人の世が支配されるとすればそれは本末転倒の事態である。さかさまに事が進んでいく。仏教では「本尊」というものを置くことがある。「本尊」は曼荼羅であることもあれば仏像であることもある。仏作って魂入れずという言葉があるが、「本尊」は建立した人の魂と関わっている。「本尊」に手を合わせることはそれを建立した人との魂の連動をすることである。

 

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