2022年

1月

22日

モッツアレラチーズ2 漆拾参

京都ももうそろそろ秋になる。嵐山などの紅葉も来月に入れば見頃になってくるだろう。夏休みに高知に帰っていたが、弟も徳島から帰っていたので2週間以上家族4人の生活ができた。弟はいま徳島大学の2年生である。工学部なので修士課程まで6年間勉強する予定だと言った。工学部の冶金学科で金属の勉強をしているが、特殊鋼金に興味があるそうだ。大学院を卒業すれば会社勤めをするのだろう。僕は弟が大学院に行っている間ぐらい大学にいることになるかもしれない。高知での母や父との久しぶりのやり取りを心温かく回想しながらゆっくりと床から起き上がった。別棟に移ってから買ったテレビを見ながらパンとココアの朝食を済ました。昨日もかなり夜遅くまでマージャンをやっていたので炬燵のテーブルの上に麻雀パイが散乱している。食器を片づけてから麻雀パイを箱に整理してしまった。川北君の部屋を覗くとまだ寝ていた。部屋の本棚にはコンピュータ関係の書籍が数冊並んでいる。「コボル」とか「フォートラン」というプログラム関係の本が目に入る。川北君を起こさずに伊藤君の部屋に麻雀パイを返しに階段を上がった。声をかけたが伊藤君は留守だったので麻雀パイを炬燵の上に置き部屋から下宿の庭を見たが、伊藤君の車はなかったので車で出かけたのがわかった。伊藤君は日産のサニーに乗っていて、この車がかなり大型の車である。部屋に戻って本と筆記用具をビニール袋に入れて学校に出かけようと下宿を出た。下宿から岩倉駅まで徒歩で10分ぐらいで着くが、気持ちの良い晴れた秋の空に高知にいる時と変わらぬ秋の香りが風と共に漂ってくる。岩倉駅のプラットホームで電車を待っている間に気が変わり、一乗寺の山口君のアパートに寄ることにした。ここ1月ほどは山口君のアパートに行っていないが、最近ずっと体調が悪く予備校も休んでいるようだ。一乗寺の駅について山口君のアパートまで5分ほど歩いた。山口君の部屋は空き室になっていた。近所に住んで居る家主の山住さんを訪ねた。山住さんの話では山口君は2,3日前東山のマンションに引っ越したという。住所を書いたメモと住所までの道筋を簡単に説明してくれた。山口君の新しい住所は東山区の銀閣寺の近くであった。チンチン電車で「東山二条」まで行って、歩いた。20分ほど歩いてメモの住所地に行き着いた。瀬尾マンションという建物の2階の202号室が山口君の新しい住居だった。ドアをノックして声をかけると山口君が出てきた。山口君は少し不機嫌そうに「まあ、あがりや」と言った。部屋は驚くほど片付いていた。ソファー兼用のベッドをソファーにして座った。山口君はお湯を沸かしてネスカフェの「プレジデント」というインスタントコーヒーをミルクなしで入れてくれた。高級そうなステレオ装置がセパレーツで揃っていた。「黒人霊歌」のレコードをプレイヤーに乗せて針を落とした。もの悲しさがあるが力強い素晴らしい曲であった。整った室内にはコーヒーの香りがほんのりと漂い喫茶店さながらの雰囲気であった。最近のお互いの状況などを語り合ったが、住居を変えてから気分は変わったが依然として体調に異変を起こし易く、ずっと予備校は休んでいると言った。山口君は将来的に車に乗りたいらしく、国産の車だけでなく外国の車も紹介したモーター雑誌を見せてくれた。山口君はドイツ車が趣味らしく「アウディ」や「ベンツ」を細い指をさして示した。僕はアメリカの車で「マーキュリー」や「カマロ」などの車に興味を持った。山口君が昼飯をおごるというので近くの食堂に行った。食堂で山口君は「山掛丼」、僕は卵丼を食べた。勘定は山口君が「おごっちゃおき!」というので山口君持ちで支払った。食事の後食堂の近くの喫茶店に入って、ホットコーヒーを飲み、今はやりの「インベーダー」というテレビゲームをプレイした。山口君は」100円玉を入れて何回も挑戦していたが、毎回すぐインベーダーが迫ってきて、「ドドーン」と画面が爆発で真っ赤になりゲーム終了になるのだった。喫茶店からマンションの部屋に帰り荷物を持って山口宅を辞した。

2022年

1月

15日

モッツアレラチーズ2 漆拾弐

6月、梅雨に入ってしとしとと雨が降っている。京都の雨は何となく風情がある。先月に母屋から別棟に引っ越した。1階の一番北の部屋である。隣の部屋は川北君という京都コンピュータ学院の1回生だ。川北君とはすでに顔見知りになり、伊藤君が中心のマージャン仲間になっている。マージャンは最初打ち方を知らなかったが、2,3回後ろで見させてもらっている内に平和(ピンフ)、七対子(チートイツ)などの比較的簡単な役を覚えて参加できるようになっている。マージャンは夜遅くプレイすることが多く、徹夜マージャンになることもしばしばである。現在3回生であるが、取得単位は20単位以下なので今年から休みなく学校に通わなければ必然的に留年の憂き目を見る。ところが悪いことに別棟に越して来て、マージャン地獄にはまってしまっていて2回生の時以上に学校に通わなくなっている。朝起きて洗顔をしてから川北君の部屋を訪ねるとラジカセで山口百恵の「パールカラーに揺れて」を聞きながら薄い布団を被って寝ていた。下宿の門のところにある自動販売機でオレンジジュースを買ってくるように頼まれて買ってくる。コップに入れて僕にも少し分けてくれた。昨日も夜中まで川北君の部屋でマージャン卓を囲んでいたので今はもう昼近い。川北君も麻雀地獄のお陰であまり授業に出席できていないようである。川北君と一緒に朝食兼昼食を取りに出かけた。川北君も僕も食事は基本外食である。どこへ行こうかと言って近くの辰巳食堂に行くことにした。辰巳食堂で2人若鶏定食を食べて下宿に帰った。下宿の部屋で最近買ったテレビを見ていると、伊藤君が学校から帰ってきて声を掛けられた。他に川北君と林君を呼んでくるのでマージャンの卓を囲もうという話だった。学校に出かけようと思っていたが腰を折られ、承諾した。僕の部屋でマージャンが始まった。伊藤君と林君は打ち慣れているが、僕と川北君はまだ打ち慣れていない.僕は伊藤君からマージャンの本を借りて役などは大体頭に入っている程度だい点棒を「いちにいごっと」で配った。「いちにいごっと」というのは万点棒を1本、5千点を2本、千点棒を5本づつ持ち点として配るのである。ゲームが終わった時3万点あればプラスマイナスゼロである。下宿でのマージャンは緊迫感を持たせるためにお金を掛けたマージャンになっている。点2というレートで1000点200円の計算である。勝ち負けはトップで+30とか40位になるのですねかじりの大学生としては結構高いレートである。麻雀牌をかき混ぜてゲームが始まった。部屋にあるビクターのスピーカーから桜田順子の「夏にご用心」が流れている。ゲームは進み、伊藤君がサイコロを転がして親で牌を取り、牌を川に切った。僕は14枚取った牌の中から1筒(イーピン)を切った。手の内の13枚は早くもイーシャンテンだった。中が暗刻(アンコウ)で西、北が対子(トイツ)である。こういう時初心者は字牌を鳴いて混一色(ホンイツ)を狙うが僕はまさにその初心者だった。調子よく西と北を鳴いて、辺七索(ペンチャッソ)待ちになって聴牌(テンパイ)だ。1索(イソコ)を川に切った。「ロキシューン」と川北君が満面の笑みを湛えながら当たりを宣言して、牌を倒した。純チャン3色イーペイコウ、きれいは跳ね満貫の手が作られていた。僕が12000点を川北君に渡したところで部屋がノックされ山口君の顔が見えた。僕は左程沈んでいなかったので観戦中の安井君と交代してもらった。部屋の外へ出て山口君と話をした。山口君は心なしか青ざめた顔をしていた。山口君に話を聞くとパニック状態で体調が悪く、催眠術掛けられているような気がすると言った。肩を叩けば正気に戻るかもしれないと僕に叩くように求めた。僕はバシバシと肩を叩いたが按配良くならず、山口君に付き添って一乗寺まで行った。山口君は「喫茶店でスモール一杯だめですか?」というので一乗寺の駅のそばで市会議員の青木がやっている「ライオン」という喫茶店で話をした。山口君はホットコーヒーの「スモール」を注文し、僕はミックスジュースを注文した。山口君は医学書を紐解きながら学生の「アパシー」かもしれんなあと首を捻っていた。

2022年

1月

07日

モッツアレラチーズ2 漆拾壱

春うらら、京都もほんのり花化粧。同志社大学も3回生となり在学浪人気分も消え失せて行った。だが相変わらずポテトサラダを挟んだ食パンを温かいココアで胃の腑に流し込むように遅い朝食を取り、カセットラジオのスウィッチをオンにした。ラジオからは京都放送のパーソナリティである千秋の声が聞こえてきた。千秋は聴取者から送られてきたはがきを読んでいた。「猪木負けそう!」というフレーズが話題になっていた。これは日本プロレスでタッグマッチの最強コンビであるアントニオ・猪木とジャイアント馬場(別称ジャム・アンコ・パパ)の試合の話である。外人レスラーとの試合で通常猪木が先にリングに降りて戦う。外人の悪役レスラーの反則などによって猪木がピンチになり負けそうになるとタッチをして馬場が出てくる。この猪木が負けそうになると馬場が出てくるというのが「猪木負けそう!」のフレーズの元なのである。何となく心に残る話題だった。母屋から離れた所にあるトイレに用を足しに行き、部屋に帰る途中で兵庫荘の住人だが名前を知らない若い男に声を掛けられた。この男は兵庫荘の別棟に住む伊藤という男だった。伊藤は京都産業大学の3回生で台湾の先住民のタカサゴ族の研究をゼミでしていると言っていた。別棟は6部屋あるが今度卒業生が出たので2部屋開いているが、母屋から移らないかという話だった。伊藤に案内され別棟の開いている部屋を見せてもらった。別棟は同じ4畳半だが作りが新しいので母屋の部屋よりも心持狭く思えた。一番北の部屋は隣が1部屋なので騒音などは少なそうだが日が差さず寒々としていた。考えておくということで話を終え、部屋に戻った。別棟に移ろうかという考えが支配的になってきた。学校の授業にほとんど出席しない生活が続いていたので、日頃話をするのは母屋の川村君か一乗寺に住んで居る浪人生の山口君ぐらいなので話し相手が増えるかもしれないと思うからである。3回生になって真面目に通学して受講する立ち直りの生活をしなければなどとはつゆ思わなかった。伊藤君に色よい返事をしようと思って別棟に行った。別棟の2階に上がる階段のところで歌謡曲が流れているのが耳に入った。岩崎宏美の「ロマンス」だった。音楽が聞こえてきている部屋をノックすると「はいりゃーええで」とテレビタレントの南利明のような名古屋弁が聞こえた。ドアを開けて部屋の中を見るとダイヤトーンのスピーカーから岩崎宏美の透き通ったパンチのある歌声が流れていた。伊藤はかなりハンサムで足が長く背も高い。ウール地の赤と黒のチェックの厚い上着を着て炬燵に入り、ショートホープを眉間にしわを寄せながら燻らせていた。別棟に移りたい旨を伝え、「北の部屋でもかまへん?」と僕が聞くと「どっちでもえーでよー」と伊藤は答えた。明後日引っ越すことにして部屋を移ることを家主のおばあさんに伝えた。おばあさんは「いとさんはマージャンするからな!あんた、一緒になってやらんときや!」と迷惑そうに答えた。部屋に戻って引っ越しでいらないものを片づけた。

2022年

1月

02日

モッツアレラチーズ2 漆拾

もうそろそろサクラの開花する季節。栗の木にはまたまたるりかけす。後期試験も終わって、春休みで高知に帰っている。4月から同志社大学の3回生になるのだが、今年もまた在学浪人として橋本君と一緒に京都大学を受験する。橋本君も早稲田大学の経済学部に通っているのだが、第1志望だった京大への夢が捨てきれず一緒に受験することになった。2人とも大学生活でほとんど受験勉強はできていないので英語や数学など大学の教養課程の勉強だけである。合格可能性はほとんどゼロに近いであろうが、それでも終わるまで受験しなければならないのである。階下で母の声がする、春休みで徳島から帰省している弟と階下に降りた。弟は高校の卒業の時に比島にある中央自動車学校で車の運転免許を取得し、父のお古のホンダのクーペを譲ってもらって乗っている。大学がある徳島まで車で3時間もあれば行けるので週末ちょこちょこ自宅に帰って来ている。徳島ではいい尺八の師匠がいないので高知に帰った時に宝町の山﨑先生のところで首を振らせてもらっている。全く久しぶりで朝食に家族4人がそろった。父は最近絵の買い取り先が数件できて上機嫌だったが、昆布茶を飲みながら単位の取得は大丈夫かと心を射るように老眼鏡を外して僕を見た。僕は「留年することにならんかったらよーおすなー!」と話をはぐらかした。朝食が終わって3階へ上がった。積もる話もあったので弟と話をした。弟は昨年から徳島大学の工学部に通っている。暮らし向きは僕よりはるかに文化的らしい。弟の下宿は賄付きなので食事は昼を学食で摂れば事欠かないし、車があるので万事用は足せるとのことであった。あまりの違いに僕は「ぎょえー」と叫んでしまった。昼過ぎに堀詰の大通りに面したところにある「チャップリン」という軽食喫茶で高知に帰省している勝賀瀬君と会った。喫茶店で2人が注文して運ばれてきた鉄板皿にのってじゅうじゅうと音を立てている焼きそばを食べた。大学生活は勝賀瀬君もアルバイト生活ながら要領よく単位を取るものになっているらしかった。話が終わって、勝賀瀬君はマージャンを中学時代の知り合いと打つので見に来ないかと言った。僕はマージャンの打ち方を知らなかったが他にすることもなかったし、見聞のためについて行った。マージャン壮の待合には中学や高校時代の顔見知りである石川君の他に藤本君や清岡君がいた。どういうつながりで勝賀瀬君と知り合ったかは知らないが石川君の共通の知り合いであろうと思った。マージャン壮の卓に2組に分かれて着いた。僕は勝賀瀬君の横に座って、競技の進展を見ていた。同じ卓に藤本君や清岡君が競っていた。牌をかき混ぜて並べて東場の藤本君は捨て牌を横に向けておいた。「ダブルリーチ、嫌らしい、嫌、嫌」と言いながら煙草をや横ぐわえにして煙を燻らせた。ゲームが進行するにつれてマージャンの打ち方が呑み込めてきた。手の内で役を作るかリーチを掛けて上がるということがわかってきた。お金のかかった掛麻雀なのでテンピンというレートについては分からなかったが緊張感のあるゲームであった。ゲーム後勝賀瀬君はプラス6で少額のお金を受け取っていた。マージャン壮を出て勝賀瀬君と一緒に大橋通の喫茶店「スプーン」で話をしていた。勝賀瀬君はマージャンではいかさまがつきものだと言った。もちろん先ほどのゲームを指しているのだろう。だが後ろで見ていても僕にはどういう風にいかさまが行われたかさっぱりわからなかった。喫茶店の前で勝賀瀬君と別れて永国寺の自宅に帰った。もう午後7時を回っていた。

2021年

12月

28日

モッツアレラチーズ2 陸拾玖

日差しが強く裏山では緑の中でセミが鳴いている。京都は盆地なので夏は気温が他の地方よりも上がりやすい。もう前期試験も終わって、大学での授業は行われていない。すぐに帰省しようと思ったが高知に帰る前に山口君と東京にいる岡崎君の所に行くことになった。山口君は東大を受験するかもしれないので下見も兼ての上京である。正午前に岩倉から電車で一乗寺まで行き、一乗寺の山口君のアパートの前からタクシーで京都駅まで行き、新幹線に乗って東京に着いた。東京から山手線の電車に乗り地下鉄を乗り継いで上板橋で降りた。上板橋で書いてもらっている地図を頼りに岡崎君の下宿を尋ねた。午後4時に下宿前で待ち合わせていたので下宿前に来ると甚平姿の岡崎君がいた。岡崎君に案内されて2階の部屋に通された。4畳半の炬燵の他には何もない部屋であった。下宿の隣の部屋は中学、高校と同じだった中谷君が住んで居るという。話をするために部屋を訪ねたが中谷君は留守であった。中屋君は日大芸術学部で彫刻をやる傍らボクシングをやっているということで、部屋には全身鏡とボクシンググローブが置いてあった。岡崎君の部屋に戻って話をした。岡崎君は結局浪人3年目を断念して東京の会計の専門学校に通っているということだった。話も尽き、することもなかったのでチェスをすることにした。岡崎君と僕が対局した。局面は僕がかなり優勢であった。岡崎君は「考えてきゆうねや!」と顔をしかめ、頭を捻っていたが、ナイトで両取の手を考えて指した。僕はクイーンが当たりになっているのに気づかずポーンを前に進めた。岡崎君は満面の笑みを浮かべて僕のクイーンを盤上から取り去り、ナイトを動かした。「ちょっとこれ待ってくれん。」と僕は青ざめた顔で岡崎君を見たが、岡崎君は「ダメダメ、待ったなし」と冷淡な表情になった。クイーンを取られてからは岡崎君のクイーンが縦横無尽に活躍し、僕は勝負を落とした。次に岡崎君と山口君が対局した。山口君はいろいろ理屈を言う割に差し筋は悪く、関係ないところでタイミング悪く好きな王の入城をしたりして岡崎君に駒を進められ勝負を落とした。午後7時を回ったころに中屋君が帰って来て、話をした。明日日大芸術学部の彫刻をしている現場を見学しに行くことで話を終えた。その日は山気口君と二人岡崎君の下宿の部屋に止めてもらった。3人分の床を敷いて僕が膝を立てて寝ていると山口君が岡崎君に「スポーツマンがこういう寝方をするがぞ!」となにやら意味ありげな説明をしていた。翌日昼前に岡崎君の下宿を出て山口君と2人で練馬区の江古田にある日大芸術学部を見学に行った。日大芸術学部で中屋君と落ち合った。中屋君に案内されて校舎前に出ると人の顔型の彫像が並んでいた。中屋君はゴーグルをつけて作業をして見せてくれた。中屋君は彫刻とボクシングで消耗した翁のような顔に見えた。お昼を過ぎたので中屋君の案内で日大近くの食堂に行った。食堂で3人ともレバニラ炒めを注文して食べた。山口君はうまそうにレバニラ炒めについての蘊蓄を傾けながら食べていた。3時過ぎに中屋君に別れを告げて岡崎君の下宿に戻った。岡崎君の下宿から荷物を下げて山口君は東大の下見に、僕は高知に帰省することになった。山口君は茶色のズボンに開襟シャツを着てローデンストックの眼鏡をかけ、アタッシュケースを下げて「白い巨塔」の財前五郎のイメージで颯爽と歩道を歩いて行った。

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