2022年

9月

19日

モッツアレラチーズ2 佰弐拾参

東京の飯場から高知に帰ってもう1週間以上が経った。今高知市久礼野という所に住んでいる。秦泉寺から小坂峠を上り、正連寺のゴルフ場から南国市に向けて東に行き、本道路から少し外れて北に入った所に久礼野がある。100坪ほどの敷地に母屋と離れと物置が建っている。久礼野の家は父が別荘として中古住宅に手を入れた建物である。高知に帰って来て、父に別荘を購入したと聞いて驚いたが、父は「おまんのために、買うたがよ!」と言っていた。高知へ帰って来て、これから仕事を探さなければならないが、預金があるのでしばらくは働かなくても生活ができる。経験がある仕事はウエイターと塾の講師と建設業だが、東京にいる時は翻訳家とか司法書士も考えていた。久礼野で勉強をしようと思ったが、法律の勉強より英語の勉強に心が向いた。翻訳家を目指そうと思って英語の勉強をし始めた。日本英語教育協会主催の実用英語検定の2級を取ることにした。中学校の英語を1通りおさらいした後、旺文社の「英語の基礎」と原仙作著の「英文法標準問題精講」、「英文標準問題精講」を使い、NHKの「続英会話の基礎」をアイワのラジカセで聞いて、勉強している。英語検定の2級の過去に出題された問題を掲載した「実用英語検定2級」の問題集を見て、1回で取れそうだと思った。受験料が3000円ほどかかるのでそう何回もは受験できない。今久礼野の別荘に父と2人で住んで居るので昇華学会が来ることもない。別荘には父が構えた大きな仏壇に御本尊様を安置した。今は朝食を済ませてから時々お勤めをする程度になっている。東京ではきつい肉体労働をしていたので体は少し大きくなっている。50㎏台だった体重が今は65㎏はある。この鍛えられた体がなまるといけないので朝家の前の傾斜のきつい坂道を1㎞ほど上り下りしたり、腕立て伏せや腹筋運動をしている。ライト級のボクサーのような体つきだ。運動を済ませてから離れで勉強をする。英語の勉強は高校の時、基礎ができなかったので文法を中心に単語の暗記などをかなり時間をかけてやっている。今の生活は何か大山倍達の空手修行の山籠もりのようだ。離れの一間部屋にはストイックな雰囲気が漲っていて、家の前は竹林があり、周りは緑に囲まれた小高い丘になっている。午前中勉強を済ませ、一人でインスタントカレーの昼食を取った。1時過ぎに隣に住んで居る老夫妻の西川さんの息子さんで重倉に住んで居る中年の男性が訪ねて来た。応接間に通して話をしたところ、僕が大学出で家で勉強をしていると父から聞いたので頼みごとがあるという。頼み事というのは来年高校受験になる中学生の娘の勉強を見てくれないかというものだった。女子中学生を教えるというのは少し心理的に抵抗があったが人に教えるのはこの先仕事につながると思って引き受けた。話がすんでに西川の息子さんは帰って行った。午後はソファーに寝転がって、スイフトの「ガリバー旅行記」の英語版を読んだ。昔絵本で見た小さい人の国でガリバーが捕らえられ、杭打ちで大の字に括りつけられる話ではなく、天空のラピュータという国には頭でっかちの数学人間が住んで居て、地上の国を支配しているという話だった。夕方近くに「絵談会」から帰ってきた父が鍋で野菜とさつま揚げのごった煮を炊いている。

2022年

9月

16日

モッツアレラチーズ2 佰弐拾弐

東京で2度目の春を迎えた。北東建設で働き始めてもう1年以上たつ。土工の仕事も1通り覚えているが分かっているわけではない。2年、3年と続けていれば分かってくるだろうが、飯場での暮らしには楽しみが読書と粗末な食べ物ぐらいしかない。読書と言えば、ここの寮暮しでドフトエフスキーの「罪と罰」、ロマン・ロランの「ジャン・クリストフ」などを読んだ。信心とは違ったものの見方が入ってきたような気がした。今の仕事を続けて一人前の土工になれたとしても所詮その日暮らしの身の上なので末は救世軍の世話になるなど明るい展望は開けない。東京で転職を考えたが、住所が飯場ではまともな勤め先に就職は難しいだろう。家からは再三帰京するように連絡がある。光の村を出てからもう1年以上たっているので高知に帰ってしばらく大人しくしていれば事なきを得るかもしれない。コツコツ小金を蓄えて、今は第一勧銀の赤い通帳の残高は80万を超えている。高知に帰ってもしばらくは暮らしていけるだろう。僕は高知に帰る考えが次第に強くなり、北東の寮の人にも引き留めるような声をかけてもらったが、結局高知に帰ることに決めた。ホンダスパーカブ49㏄を前に千葉ちゃんに最後の挨拶をした。「また来ます」。千葉ちゃんは「そういう奴に限って、もう来ねえんだよ!」と言った。ホンダスパーカブ49㏄のキックペダルをキックした。「ブロルオ、ルオ」と重厚な地響きを伴いエンジンがかかった。来た時とそう変わらない身なりで汚くなったフルフェイスのヘルメットを被り、エンジン全開フルスロットル。弾丸のようにカブは渋谷方面に通じる大通りに出た。渋谷から日本橋に出て、来た時とは逆に国道1号線を矢のように走った。カブは道路の左端を矢のように突き進んで次次と車に追い越されていく。1日目は着た時と同じように名古屋のビジネスホテルで1泊した。来た時のような凍えるような懐の寒さは微塵もない。高知への帰郷はバイクなら小1万あれば済む。翌日梅田新町で国道2号線に入り、岡山に向かった。岡山から宇野に向かう時はもう闇に包まれていた。宇野で高松行のフェリーに乗り客室で仮眠を取った。高松の港につき、港からほど近いJR高松駅にカブを駐車して駅の待合室で仮眠を取った。駅で讃岐のけつねうどんを食べて腹ごしらえをした。夜明けとともに国道32号線を高知市内へ向かってカブを走らせた。大杉、大歩危、小歩危と吉野川沿いの断崖絶壁を右に見乍らひた走った。時折大型ダンプなどが来ると風圧で煽られガードレールが火花を散らす。「おお!翼よ、あれがパリの灯だ!」とカブはほの暗い中に灯火の輝く高知の町に入った。岡豊から一宮、薊野、洞が島を通って永国寺の自宅に着いた。自宅の駐車場にカブを置いて玄関のドアを開けて、「ただいまー」と声をかけた。父が階上から降りて来て、「おかいりー!だれたろう!」と言った。

2022年

9月

10日

モッツアレラチーズ2 佰弐拾壱

昭和63年になった。もう2か月ぐらいで東京での生活も1年になる。僕の住んで居る北東建設の寮の2階の大部屋のテレビでは正月番組をやっている。映し出されている映像は右翼の大物である笹川良一が天皇陛下に新年のご挨拶をしているところである。正月の休みも 餅をいただいたくらいで、寮でごろごろしている。東京の建設業界で働き始めて1年ほどたつので仕事もそこそこ覚えたし、業界の事情も少しは分かってきている。問題なのはこの業界が世間一般とは隔絶したところがあるということである。北東建設は東北地方の出稼ぎなどの働き手が多く、70歳ぐらいで現場を退いても賄仕事などに従事して居残っている人もいる。所帯持ちの人は寮の外に出て生活している。建設業界に入ってくる人も土工やとび職は流れ者が多く、各現場ではいろいろな経歴を持つ人に出会う。北東建設でも人を雇うのは主に手配師と呼ばれる人が駅などで流れ者をスカウトしてくることが多いのである。建設業界の流れ者は短期2週間満期で働き、給料を手にすると飯場を出てカプセルホテルなどに宿泊する人が多い。そういう人は回転ずしを食らったり、ある種息抜きをしてまた飯場に帰ってくる。この業界のこういった流浪の民は老い先どうなるか。飯場で働きづめに働いた後、救世軍のお世話になったりするという。僕はこういった事情を聴き、自分の先行きを思って半ば暗い気持ちになった。そこで僕は転職をしたいという気持ちがつのり、求人ガイドを見て求職活動をしてみた。ミスタージャイアンツの長嶋さんが住んで居る田園調布の「平八」という焼き鳥屋の従業員募集に応募してみた。「平八」の暖簾を潜った。おかみさんが出て来て僕の肉体労働者風のいやしい風体を眺め、「家はいいところのお客さんが多いからね!」といかにも江戸っ子の歯切れよさで迎えた。少しして、怪我無い太って大柄な大将がでて来て、店のカウンターに並んで座って話をした。大将は「蓄えはあるの?ここで働いても十ぐらいにしかならないよ!」と言い、僕の仕事で荒んだ手を取って人情味のある感じで応対した。僕はおかみさんの話で気が引けていたので積極的な売り込みもできず店を出た。やはり薄汚れたジャンパー姿で食べ物屋のアルバイトの募集に出かけたのはまずかったなと気が付いた。アルバイトの応募が不調に終わって高知へ帰ることが思い浮かんだ。家の父母とはすでに連絡が取れ、時々便りが届いている。電話で1度話もした。家のことを思うと信心のことが薄っすらと気持ちに入ってくる。寮から10分ほどで渋谷方面へ抜ける大通りがあるが、大通り沿いによく服を買う安物売りの服屋のすぐ近くに昇華学会の建物がある。今は昇華学会の事は全く頭にないが、仕事も全て信心で戦っているようなところもあるのである。御本尊様からずっと離れて暮らしている。

2022年

9月

06日

モッツアレラチーズ2 佰弐拾

夏になり、仕事は体力的に大変になってきた。日中ののコンクリートの打設の時などは炎天下45度はいっていると思われる。インドじゃあるまいし。きつい長靴を履いてコンクリートの中を熱い息を吐きながらのたうち回るのは健康には悪かろう。僕はこの建設業界では素人扱いなので夏場になって、扇風機しかない3人部屋からエアコンのある2階の大部屋に移された。山中さんの話では北東建設は人助けの会社だと言っていた。大部屋では10人が修学旅行のように枕を並べて寝る。エアコンの他に部屋の中央に大型のテレビも設置されている。僕は千葉ちゃんの隣に枕を並べている。千葉ちゃんは岩手人で僕より何歳か年上で色白、男前の大男である。大部屋に移ってから千葉ちゃんと一緒に秋葉原に買い物に行った。秋葉原の電気店街でアイワのウォークマン型カセットレコーダーを買った。ラジカセで裁判所の森さんがファンだった中森明菜の「北ウイング」などが入っているベストヒット曲集のカセットを聞いている。今日は戸塚の現場に入ることになっている。僕は短期2週間満期で働いているので、長く続く決まった現場に続けて入るのではなく、体が空いている時など帳場の倉田さんに声をかけられて出向くタイプの働き方をしている。今日の戸塚の現場は植木さんの旗揚げで北東建設で人を集めて仕事をすることになっていた。建設するビルは女性のお仕事相談などの「女性センター」になるとのことである。土工からとび職になった原さんの運転するバンに乗って現場にに向かった。現場に着くと既に基礎のコンクリートの打設は済んでいる。午前中コンクリートを打った後に溜まった雨水を排水し、散乱しているゴミなどを片付けた。昼休みに入って原さんの隣で弁当を広げた。暑い日は、特にコンクリート打設の時などは食欲がない。土工のドカベンを腹に収めるのは戦いと言ってよい。飯を食わないととてもスタミナが持たないのである。飯を腹に収める時茶を飲みすぎると一層腹はくちくなる。この日は昨日雨が降ったためか涼しく食は進む。ドカベンの他にカップラーメンを平らげた。土工の仕事をし始めてもう半年になるが体は大きく色が白くなっているような気がする。午後に入って足場を組み立てる作業に入った。シートをかぶせて置いている足場材を運搬する。鉄パイプ、クランプ、筋交い、アンチなどの足場材である。バタ角をまず敷いて、その上に足場材を並べる。クランプは新しい土嚢袋に入れ替えた。足場を組み立てる際の土工の仕事はとび職の人が足場を組みたてれるように手伝うことである。鉄パイプをクランプで繋ぐ際に鉄パイプを抑えていたり、クランプの種類を選んで手渡したり、パイプとパイプの間に筋交いを入れたり、アンチを掛けたりという作業である。戸塚の現場は始まって間もないので工期はまだ十分で進捗に問題はなく定時で仕事は終わった。寮に帰ると6時近くですでに夕食の準備ができていた。今日のメインメニューは焼きそばである。寮の夕食のメインメニューでは焼きそばとカレーが子供には人気がある。鳶の中田さんの隣で食べている。中田さんが「おめー!焼きそば好きか?俺も好きだ!」とビールを飲みながら言った。食堂内では誰かが岡林信康の「金色のライオン」をラジカセでかけていた。「きょうのー♪♪仕事はつらかった♪♪後は焼酎を煽るだけ♪♪」。岡林信康は同志社大学神学部の出で、山谷で働いていたことがあると聞きました。

2022年

9月

04日

モッツアレラチーズ2 佰拾玖

もう東京に来てから3か月経つ。これからだんだん暑くなり始めるので夏場は厳しい仕事になりそうである。昨日で2週間の満期日になっているので、今日は休みである。帳場で係の倉田さんに給料をもらう。2週間働いて、手取り80000円ほどである。随分懐が温かく成った。倉田さんに今日の休みはどうすると聞かれ、図書館に本でも見に行きますと言ったら、「図書館はいい女居ねえぞ!」と言われた。起きた時には朝食が済んでいたので、朝食を取らずに中原区の図書館に行った。図書館の書棚でいろいろ本を探していたが、今の自分の境遇を思い、横山源之助の「日本の下層民」という本をぱらぱらと捲った。本の内容は社会主義的な色彩が強くあまり馴染めなかったので数ページ読んだだけで本を置いて、図書館を出、会社の寮に帰った。部屋には川端さんがいた。川端さんも今日満期日で休んでいた。川端さんと一緒に新宿に出ることになった。武蔵小杉の駅に行く前に第一勧業銀行の中原支店に寄って、手元に2万円残して預金をした。赤い通帳の数字を見てにんまりとほくそ笑む僕を見て、川端さんは「俺はその辺の草でも何でも食って生きてるから」と言った。武蔵小杉から東横線で渋谷まで行き渋谷で山手線に乗り換え新宿まで行き、新宿歌舞伎町へ行った。歌舞伎町にはスラムのうさん臭さが漂っていた。昼を過ぎたので川端さんが知っているラーメン屋で一緒にラーメンを食べた。新宿にはこれと言ってみるものもなかったが二人で遊歩道をぶらぶらと歩いた。途中アメリカ人が銭を入れる帽子を傍らに置き、椅子に座ってギターを演奏していた。大道芸人の無銭旅行者であろうと思った。僕は帽子に500円硬貨を入れてあげた。印象に残るほどの技量だとは思わなかったが、日本人は外国人にやさしいという印象を与えようと思ったのである。川端さんは「あんなのにやらなくていいよ!浦ちゃん優しいから!」と言った。帰り川端さんと一緒に青山に寄った。南青山にある翻訳学校の「バベル翻訳学院」に寄った。川端さんは馴染みのない学校の雰囲気に戸惑っていた。「浦ちゃん帰ろうよ!」と袖を引いた。僕は受付の人に学校案内のパンフをもらってビルを出た。逃避行とはいえ折角東京に出てきたのだしということが頭の傍らにあったからである。ビルを川端さんと一緒に出た途端、土工から翻訳家への転身は不可能だという不安が襲ってきた。寒々とした心持で電車に乗り会社の寮に帰った。寮に帰って、もう高知を出てから3か月も経つので元気にしていると家と光の村に手紙を書いた。家には勤め先の住所と電話番号を知らせた。多分、行方不明で捜索をしているだろう。光の村には事情を書いて、辞職の届と帰ったら改めて挨拶をする旨を書き送った。

お知らせ

遅いパソコンのスピードアップ!!

性能が低いHDDからSSHDやSSDに

ディスクのクローンで丸ごと引っ越し

OSの起動スピードが速くなる