2020年

9月

16日

チョコ41

9月半ばになって、まだ暑い日もあるが大分涼しくなってきた。暑い日はいつまでマスクをする日々が続くのかという思いが時々頭をよぎる。国中が病院のような状態が早く終わってほしいものである。コスモスPCサービスというホームページを開設してブログを書き始めて7年と4か月になる。当初は「胃にいい生活」というタイトルでブログを書き始めた。なぜこのようなことを書くかというと書き始めからずっと安倍政権がアベノミクスを実施していて、1昨日安倍晋三首相が退陣しアベノミクスも一往の終焉を迎えたからである。このホームページ付属のブログでもアベノミクスについては時々記事を書いてきた。あるニュース番組で総裁候補者がアベノミクスの評価をしていたが、概ね合格点の70~80点を付けていた。評価の基準は株価が上がっていることと、為替も円安になっていること企業収益が増加し日本経済の6重と言われていた枷から規制緩和によって解き放たれたと言うことだそうである。しかし、日本経済が抱えている負債については何の話もなかった。安倍首相が内閣総理大臣に就任した当時は1000兆円という国の赤字が累積していたがこの借金を少しは返せたのか。借金を少しずつきちんと返していくということは当たり前の事であって今の昔も変わりはない。借金をまともに返そうとするのは時代遅れなどと嘯(うそぶ)いても実体の経済は良くなりはしないのである。実体の経済言い換えれば自然の経済の悪循環をキャッシュレスとか仮想通貨などという架空の技術を使って胡麻化そうとしても実際の解決はできはしないのである。結果としては国民の充実した経済生活はどんどん損なわれていくだろう。大事なのは充実した生産や労働あるいは企業活動を基礎とした自然の経済であり実体経済なのである。国の経済が破綻してデフォルトに陥ってもIMFの力を借りて建て直せばいいではないかなどといった態度で世界の国々が自転車操業を続けていると結局は経済の世界的な破綻を来すことになるのではないかと思う。実体の経済を無視して、数字の上だけの仮想の技術で経済の状況をごまかし続けていると国民の経済生活実質はどんどん貧困になるに違いない。ごまかしの技術が進歩的で苦労して実体経済を上げていくのは時代遅れという考えは問題の解決ますます難しくしていくものと思われる。先の見通しを考えず今が良ければよいという駝鳥の習癖は改めるにしくはないと思う。駝鳥は危機に瀕すると地面の穴に頭を突っ込んでまわりを見ないようにする。世の中を見ると実相・実体あるいは自然から距離を置いて仮想・虚妄・バブルに逃げこんで身の置き所をさがしている趣をなしているように思える。しかし、人に真の喜びを与えるのは実相であり実体であり自然であると思う。確かな精神性と確実な計算力が求められているといえるのかもしれない。アベノミクス7年の間に世の中は大きく変化したが日本は「美しい国」ではなくマスクをかけた病院のような国になっている。日本が本当の意味で「美しい国」になるように正しい仏法が国民の間に広がり日本人らしい自然の情景を取りもどしていってほしいものである。

2020年

9月

14日

チョコ40

9月も半ばになってだいぶん涼しくなってきた。コスモスPCサービスでは東芝のノートパソコンが一台売れたが、これが今年最後の仕事にならなければいいのだが。コロナウイルス騒動は相変わらず収まっていない。ニュース番組でもずっと感染拡大防止対策や感染の状況を比較的わかり易く報道していたが、最近は次第にあいまいになってきている。これも問題解決に向けての持続性の無さの表れであろう。コロナウイルス感染症の問題で考えさせられるのは科学的な手段方法ということである。僕が参詣しているお寺でも感染拡大防止対策として、3密(密集・密閉・密接)を避けるということを実施している。1度の御講では120人が集まるところを40人3回に分けて行っている。このことがコロナウイルスの感染拡大防止につながる科学的根拠という場合、明確な因果関係を論理的に説明できるのだろうか。科学的やりかたということは辞書によると論理的で実証的なやり方とある。コロナ対策で専門家が必要であるという対策の科学的根拠というのは少なくとも明確な論理性を伴って説明されてはいないと思う。僕は足しげく寺院に参詣している比較的熱心な仏教徒なので宗教特に仏教の衰退には大いなる危機感を持っている。昔インド人で鳩摩羅炎(くまらえん)という人はインドで仏法が廃れたのを憂えてお釈迦様の木造を背負ってはるばる中国へ布教に行ったが、そういう心境になってくる。仏法にも法の正邪があるが、科学にも正義(しょうぎ)と邪義があるのではないかと思う。最近は宗教の信仰者よりも科学信仰者のほうが多いように見受けられるからである。例えば遺伝子の問題で人倫を無視したクローン操作をして構わないとか商業ベースで安全性の低いワクチンを開発販売するなどはその行為の基礎になっているのは科学信仰の邪義といえるものであろう。科学信仰の正義はやはり公共の利益や一人一人の人権さらに人類の遺産となっていく積行を大事にする正しい科学の発展を見据えるものであろう。仏教に関して僕の信仰している宗派での修行の基本はお経読んだりお題目を唱えたりすることと共に布教活動をすることである。布教の方法は激しく聞こえるかもしれないが折伏(しゃくぶく)という。正義を以て邪義を破折(はしゃく)することである。邪義を破折していかないと邪義が横行し、正法・正義が力を失ってしまうからである。先日ニュース番組でコロナウイルスのワクチンが開発使用される問題で薬学部の教授がワクチンの開発使用は普通少なくとも4年はかかる、十分安全性を確保するには10年はかかるだろうという話をしていた。この話を聞くと今使用が問題になっているワクチンはどのくらい時間をかけて安全性を実証できているのだろうと疑問に思うが、教授は今回は緊急性を要するのでとお茶を濁していた。教授は持論を以て明らかにワクチンの開発に時間をかけないと安全性が保たれないのではないかなどの折伏の姿勢を持つべきだろう。そうでないと科学の世界でも商業主義や人権無視などの邪義が横行して、正しい科学の発展や科学が一般の人に正しい利益や利便性をもたらすことにならなくなるのである。科学信仰者も仏法の信仰者と同じく正義を以て邪義を破折する折伏をすべきではないだろうか。

2020年

7月

17日

チョコ39

7月も半ばになってそろそろ梅雨明けになりそうである。今日は割合いい天気になっている。国内ではコロナ対策に苦慮している中で熊本で大雨・洪水があり、少なからぬ犠牲者が出ている。お寺通いをしている身としては科学まがいの対策では問題の解決はないと思いつつ勤行をし題目を上げている。コロナウイルス問題はお寺の在り方にも善かれ悪しかれ大きな影響を与えている。私が参詣しているお寺の名簿上の信徒数は1200人ほどであるが、実際御寺の本堂でお参りができるのは250人ほどである。参詣者が多い時には250人ほどになるのである。ところが今は三密を避けるということで1回40人に指定されている。贅沢な参詣の仕方だといえなくもない。所狭しと人が詰めあう人間臭さがないからである。最近コロナ問題で参詣を控える人も多いので、信徒の信心を弱らせないようにするため我が寺のご住職はいろいろとスマートフォン、パソコンなどを使ってパフォーマンスをしている。1例を上げるとスマートフォンを利用した唱題行のライブ配信である。これは時間を決めてご住職が唱題する映像と音声をスマートフォンで配信し遠方の信者と一緒に題目を上げるという取り組みである。ご住職のあげる題目は一般信者と違って力があるので、一緒に題目を上げると比較的長時間でもついて上げやすいからである。コロナ問題でお寺だけでなく世の生活も少し変化している。接するな、話すなといった注意事項が人に距離感を与える変化をもたらしている。一番のキーワードはコミュニケーションであろう。直のコミュニケーションと機械仕掛けのコミュニケーションではやはりいろいろと違いが出てくるからである。それぞれの人の人格の統合に影響を及ぼすような違いもある。機械仕掛けのコミュニケーションでは相手の生の情報が圧倒的に少ないからである。このことは人の心に大きな影響を与えるであろう。縁があって人と接することは人の人格の統合に少なからぬ影響を与え続けるのである。結果としては統合失調ということになり易いかもしれない。統合失調とは存在や考えがうつろで拠り所がないという意味である。統合失調していたのでは人徳などはさらに求められないし、ひどくなれば統合失調症という病となるのであろう。結局、人と接する機会が少ないほうがいいというのはウイルス感染だけの問題ではないのである。世の中の人が統合失調状態の人が多いのでそういう人々がコミュニケーション不全の状態で接すると世の中の統合失調状態がさらに進むからという見えざる手の働きもあるのである。見えざる手とは自然回復力のことである。当世のような世の中こそ仏様の出番である。法華経に「この経を誹謗するもの、頭破作七分」という経文があるが、これは正法を誹謗するものは頭が七つに割れるという意味である。頭が七つに割れるというのは統合失調よりは精神分裂といった趣かも知れない。とにかく仏様に背き正法を誹謗する人が多いとそういう気持ちの悪い世の中になるのである。御本尊に向かって読経し・題目を上げれば気持ちは落ち着き・心は清くなり、人格を統合する方向に、更には人徳を積む方向にと進むのである。世の中の変化はコロナウイルス感染症という疫病が蔓延をするのを防ぐという目的によって変化しているように見えるが変化の底流には人格の統合とか心の問題がある。世の中のありとあらゆる問題は仏法によるのである。疫病や洪水という災難も統合失調という人格の問題も全て正法を謗ることに原因しているのである。人が皆正しい本尊に帰依し、その本尊に向かって法華経の題目を上げていけば災難は全て去り、人の人格は統合され、更に人徳をも積んでいけるのである。

2020年

6月

15日

チョコ38

昨日 ホームページサービスの契約を更新した。コスモスPCサービス高知のホームページ開設から8年目である。この7年間コスモスPCサービス高知のパソコンに関する販売・サービス業務は実に少なく数えるほどであった。インターネット関連でホームページを見ていただいて受けた仕事の依頼の件数はわずかに3件である。後の仕事は親戚筋と前の仕事場の知り合いからのものであった。今後も仕事が増える見通しはたっていないが、ブログを中心にホームページの開設は持続していく予定である。仕事ももう少しパソコンが売れるような販売促進はしていきたいと思っている。さて、世の中では今年に入って新型コロナウイルス感染症が世界中に広がりを見せて日本でも感染拡大の抑止のためにいろいろと手は打たれている。私が参詣している寺院でも3密を避けるために参詣者の人数制限や間隔をあけての着席などを実施している。マスクをかけての読経・唱題、住職のフェイスシールドを付けての法話などは通常の感覚からすれば常軌を逸していると感じられる。ウイズコロナなどと称してこのような事態が続くことが無い様に深く御本尊にご祈念する次第である。ウイルス感染症の様なものを疫病というが疫病の抑止や終息は所謂科学的な手法による対策だけでは不可能である。というのは今度のコロナウイルス感染症や100年ほど前のスペイン風邪など異常な広がりを見せる疫病は事の起こりの原因がよくはわからないからである。仏法には依正不二の原理というものが説かれている。これは過去の宿因の報いの結果としての衆生の心身(正報)とそれを取り巻く環境(依報)が一体不離の関係にあり、衆生の心の状態や行いがそのよりどころとなる国土環境に影響を及ぼすことを説くものである。世間的に行われている科学的対策はこの正報と依報のうちよくはわからない身体的なものと科学的に把握可能な物理的環境のみを不完全に把握してなされるものなのではなはだ効果が薄く頼りない物なのである。仏の目から見るとこういった疫病の原因は依正不二の原理から明らかである。疫病を含めた世の災難というものは全て邪義・邪法を信じ行ずる所から起こるのである。邪義・邪法を行ずるとは別の言葉で言えば正法を誹謗するということである。邪義により邪法を行ずると命は貪(とん)・瞋(じん)・痴(ち)・慢(まん)・疑(ぎ)で濁るので心身は穢れ、それに従って認識力や判断力が低下するだけでなく、様々な心身を守る働き(諸天善神)がなくなり病気にかかりやすく災難に会いやすくなる働きが(鬼神・魔神)さかんになるのである。国家的な単位で見れば例えば日本の国民殊に指導層がを邪義により邪法を行じていると国民の命は濁り、心の乱れや悪い行いによって国土環境を守る働きがなくなってしまい(国の諸天善神が国土を去り)、災難を招来する環境に変わっていき(悪鬼・魔人の乱入)、他国から疫病が感染してくるなど災難が国に頻発するのである。この度のコロナウイルス感染症が世の中に甚大な被害をもたらしているところから見ても科学的と称してなされる対策があまり役には立っていないように思われる。科学的と称する対策の裏では真言・禅・念仏・戒律や外道の法といった悪法が現在の日本でも形を変えて行じられていることが影響しているに違いない。疫病や自然災害あるいは他国からの侵略など国に災難をもたらす元凶はすべて邪義・邪法を信じ行ずる所に由来するのである。一日も早く御本仏の威光が冴えわたって国土を覆い、マスクを取って法華経の題目の音声が遠くに響き渡るのを待ち望んでいる。

2020年

4月

10日

チョコ37

4月に入ってだいぶん暖かくなってきている。令和2年に入って昨日で100日が過ぎた。コスモスPCサービスではまだ1件の仕事も受けていない。足しげくお寺に参詣していて、仕事の電話番もしていないのだから当然かもしれない。最近ではコロナウィルス騒ぎでなおさら仕事が来にくい状態である。昔、小学6年生のころ風疹が流行り中学受験の日には風疹に罹っていた記憶があるが、同じウィルス性の流行病でも昔と今ではずいぶん様変わりしていると思う。病の重篤さの違いはあるかもしれないが物々しさが桁違いに増している。風疹はそのうち 収まっていったが、コロナウィルスは力づくでねじ伏せられようとしている。最近の世情では経済にしても政治にしても力づくで筋道をつけていこうとする手法が目立っているように感じられる。日本では昔は自然と調和していこうというあり方が支配的であったが今は自然を統御・支配しようというあり方が主調となっているよう見受けられる。欧米のとりわけ現代諸科学の影響であろう。過去を振り返って集積している情報を整理し、現在を考え未来を見通し、備えるというのが本来あるべき態度であろう。スピード感は必要だとしても、実験・検証を積み重ねて情報を集積するということを怠れば科学的といえる対応はできはしないのである。今の世情は今に力点が置かれすぎている。過去をゆっくり振り返る余裕はなく、未来を見通す透視力もないのである。あるのは今の苦境から逃避しようとする力行だけである。余りにスピードが重視され、今に力点が置かれ、地道な実験・検証がおろそかになると科学的というに値する対応はできないのではないだろうか。日本はまた自然と調和しゆく国になってほしいものである。現代科学には過去を正しく理解し、未来を見通す力はないが、仏法には3世の生命がある。過去世によって現世は規定されており、現世によって未来世は規定されてゆく。規定されている運命を変えていけるのは縁殊に仏縁というものがあるからである。仏に縁して運命は変えられるのである。本当に正しい科学的な考えというものがあるとすれば仏法でいう未来世はないということの証明が不可能だと結論することが可能であろう。仏法では生命は6道(地獄・餓鬼・畜生・修羅・人・天)を生死を繰り返して流転すると説かれている。また、人として生まれてくることは稀であるとも説かれている。人として生まれてくるのは過去世において五戒を保っていたからである。五戒とは1.不殺生戒2.不偸盗戒3.不妄語戒4.不邪淫戒5.不飲酒戒である。現代社会でこの五戒を保つのはほぼ不可能であろう。つまり、仏法的に言えば現代人はおよそ本来の人間らしい在り方からほど遠い生き方をしており、未来世においてまた人として生まれてくることは難しい世情なのである。ところが、私の参詣している寺院の宗派では正しい本尊を保ち法華経の題目を唱える所にある戒によって、五戒を修める功徳に等しい功徳が受けられるので濁悪の現代社会にあっても人間らしい清浄な生き方ができ、未来世には人として善処に生まれて来ることができると教えている。目まぐるしく変転する思考力に乏しい、災難の頻発する世の中を過去・現在・未来が矛盾なく連続する仏法によって老いたるものが敬われ、幼きものが愛される不老不死の世の中へと変えていけるのである。個人的にも社会的にも未来をよいものに変えていくのは仏法によるしかないのである。

 

お知らせ

遅いパソコンのスピードアップ!!

性能が低いHDDからSSHDやSSDに

ディスクのクローンで丸ごと引っ越し

OSの起動スピードが速くなる

お知らせ

東芝の中古ノートパソコンを格安の19800円で売り出しています。(商品7)どうぞご覧ください。