2018年

2月

09日

チョコ16

2月に入った。南国高知でも寒い日が続いている。関東や北陸では大雪で交通が麻痺したりしている地域もある。4日に徳島のお寺で高知のお寺と合同の集会があったので参加させていただいた。寒いとはいうものの高知市街では雪が積もることはない。徳島方面では山間部で雪が積もっており、徳島のお寺へと向かう高速バスは時折雪に見舞われた。徳島へ行くと同じ四国の県ではあるが何となく高知との違いが分かる。徳島は高知と比べると地味なのである。高層建築物が少なく木造の1戸建てが多い。ハイカラな飲食店やレジャー施設なども高知では馴染んでいるのに徳島では浮いている感じがする。徳島の街並みを見ていると最近の世の中の変化が一様に進んでいるのではないのを実感する。土地柄というものがあるのであろう。個人経営のコスモスPCサービスでは1件仕事の予定があるが、これが今年の初仕事である。世界的なパソコン販売の状況は今年は良くなると予想されている。しかし、世の中が軽薄短小を指向しており、スマートフォンやタブレットが主流であることに変わりはない。軽薄短小が指向され始めたのは日本では高度成長期の終わり頃で造船や製鉄といった重厚長大な産業から軽薄短小の電子機器や半導体などのハイテク産業へと重心が移っていったことに端を発しているようである。軽薄短小ということは現在では世の中の風潮を作り出している。軽くて持ち運びが簡単、自由に移動できる。薄くて小さく場所を取らない。手間がかからない。しがらみがない。関わり合いが希薄である。拘束性が弱い。反面、吹けば飛ぶような、絆がない、軽薄な、実体感が薄い、真実味がない、などのマイナスイメージもある。最近話題になっている仮想通貨なども軽薄短小と同じ指向のベクトルを発している。必要性を否定できないにしても、実体が虚ろな人工的バブルなのである。最近の世の中は虚実または細工と自然が溶け合って存在しているような状況を呈している。権威や伝統といった重厚長大な方向性のベクトルも根強く放たれてはいるが世の中は浅く速く動いている。世の中は移り変わってゆくが、実体のある実相は過去から現在そして未来へと存在し続けていく。虚ろなバブルは世の中とともに生まれては消えてゆく。仏教では釈尊の入滅を基準に正法・像法・末法という時代の違いを説いている。正法時代1000年、像法時代1000年、それ以後は末法である。現在は末法時代に入って約1000年になる。末法というのは釈尊に縁のない人が生まれてくる時代のことで、本来救いようのない人が生まれてくる時代なのである。正法・像法時代の人に比べると物覚えが悪く、平気で嘘をつき、根性が曲がっている、そういった人々が生まれてくる悪世である。正直者の頭には神が宿るという言葉が日本にはあるが、末法には正直者が少ないのでこういう言葉もあるのである。先頃、日本の由緒ある神社の神主が殺人事件を起こしたが、この神主の頭には神ではなく悪鬼が宿っていたに違いない。日本の宗教界の惨憺たる有様を象徴する事件だと思う。末法に生まれてくる人は正直で素直な人柄になるのが難しいので弛まぬ修業が必要なのである。

 

2018年

1月

06日

チョコ15

2018年も6日目に入った。今年のお正月は比較的穏やかに幕が開けた。元旦はほうれん草入りの雑煮を作って食べたり、弟が年始の食べ物を持ってきてくれたりして、珍しく母と3人、家族で過ごした。

コスモスPCサービス高知では去年仕事が1件しかなかったので、今年は営業活動を少ししなければならないかもしれない。世の中では株価が上がって景気が良くなりそうに構えているが、その実体はよく見えていない。実体の良い経済ではお金は使いでがあるのである。吹けば飛ぶようなお金はすぐになくなってしまう。日本の経済も世界経済の強い影響下にあるからというだけでなく、交通や通信網の発達により,あるいは国際紛争によって生じた移民や難民の増加によって進んでいる欧米のグローバル化の波はやがて日本にもやってくるだろう。世界的なグローバル化の時期は視点を変えると各国のアイデンティティーを模索する時期でもある。イギリスのEU離脱や偉大なアメリカを取り返すという大統領のスローガンも経済だけではなく国のアイデンティティーということが関わっていると思う。交通や通信網の発達によって、各国間の人の移動や物流が世界規模になり外国人が頻繁に出入りしたり、定住するようになっても、各国の気候風土や民族性さらに歴史や伝統に変わりはないのである。グローバル化が進む中で国のアイデンティティーというものを深く模索する必要がある。国において大事な地位にあるのは国主である。国主は昔、国王である女王陛下や天皇陛下であったが、現在の欧米や日本は総じて民主主義国なので主は国民、あるいはそれを代表する大統領や総理大臣となっている。国主が賢主で頼もしければ、世の中では道理が勝つので国は安全で平和な国となる。国主が愚主で儚ければ、世の中では非道がまかり通るので混乱し、下克上となるのである。私の参詣しているお寺では仏法を基礎として「立正安国」を目指して日々仏道修行や布教に努めている。国の主である国民の一人、一人が賢くなって道理にかなう考えを持ち、慈悲や徳のある振る舞いをすれば安全で平和な、外国にも1目置かれる国になるのである。

2017年

12月

29日

チョコ14

2017年も残すところ3日となった。今年のコスモスPCサービス高知の営業は1台のパソコンの販売と1件のパソコンサービスだけであった。仕事が少ないと世間との行き来があまりないのでこの1年はかなり浮世離れしたものとなってしまった。世間の感覚を保つのはテレビやインターネットのニュースによるが最近のメディアは真実や事実の報道ということが曖昧になっている。それは世の中の多様化による等価性とか価値の相対性あるいは経済的理由といったことによっている。年末になると少し浮き浮きした気分になるのには変わりがない。近頃、あまりカーステレオ以外で音楽を聴くことはないがごくまれに手持ちのオーディオ機器で音楽を聴くことがある。もう10年ほど前のものなので小型のJBLのCONTROL1という機種のスピーカーはエッジのウレタンがボロボロになっていた。インターネットで調べてみると同じ機種のスピーカーエッジを売っている店があったので通販で購入し、付け替えた。ついでに、音響のアンプとCDプレーヤーも蓋を開けて内部のホコリの掃除をした。音楽機器が新しくなったような気分になったので、ビバルディの「四季」とショパンの「英雄ポロネーズ」、「ラ・カンパネラ」などのピアノの名曲を聴いてみた。安価なオーディオにしては十分な演奏の再現力がある。音楽に関しては何世紀も前の曲を人は聴き続けている。演奏の収録や再現はデジタル化してクリアになってはいるが、作曲者のイメージに近いものを今聴けているかどうかは疑問である。しかし、音楽はもともと数学的な構成をするので大きな違いはないのかもしれない。誤差は切り捨てるのがデジタルというものである。昔天分のある人が作った曲は今も聴かれているし、これから先も聴かれ続けるだろうと思う。現在作られている曲は1世紀過ぎると聴かれなくなっているに違いない。科学技術は進んでいるが音楽は進んではいないのである。現在の世の中でも未来に長く続くものを残したいものである。価値というものが多様化しても、西洋の哲学者が残した真・善・美という価値基準というのは今でも考える余地があると思う。1次的な肉体の欲求の満足だけでは人は生きて行かれないからである。人の心を動かすものは価値がある。仏教は仏法を説いている。仏法を端座して修行するものは正念となり、実相を思う。正念は虚妄ではない。虚妄は時の流れに浮かぶうたかたである。うたかたは生じては消えていく。1世紀続くことはないのである。実相だけが時空を捉えて果てしなく流れている。

 

2017年

12月

17日

チョコ13

すでに12月も半ばを過ぎ、2018年が目前に迫っている。今月コスモスPCサービスでは今年初めての仕事が入り、パソコンのトラブルを診断したり、販売したりすることができた。今年の仕事はこの1件だけだろう。1台売れたのでIntel第7世代のPetiumG4560を使って1台パソコンを組み立て、販売のラインアップに加えた。このパソコンと15年前に作ったCeleron 1GHzのパソコンを比べると隔世の感がある。初めて自作したパソコンはCPUが1GHz,シングルコア、キャッシュ256MBだったのが今度作ったパソコンは3.5GHz デュアルコア、キャッシュ3MBのCPUでメモリは256MBから16GBになりハードディスクは40GBから400GBになっている。ソフトウェアのほうも32bitOSから64bitOSへと進んでいる。パソコンだけでなく科学技術の進歩によって各方面で機械による物質的な変化は著しい。テレビは4Kという800万画素の極精細の映像が楽しめるようになってきている。オーディオでも私の持っている機器であるJBLスピーカーと音響のアンプとCDプレーヤは合わせて10万円にも満たないものであるが十分な音楽の再現力がある。書籍も読みたい本はどんな本でも読めるし、紙質は良く、製本も良い。テレビや音楽にしてもインターネットなどを利用するとどんな番組でも見れるし、聞きたい曲ならどんな曲でも聞くことができる。しかし、読んだり、聞いたり、見たりしているものが表している内容は過去のものと比べて進んでいるということはできない。情報は手に入りやすいが、玉石混交である。表現している人自身が理解できていない情報は頭を混乱させる。人の心をかき乱すような邪悪な内容の情報に触れることは人から徳を奪うのである。天分のある人、慈悲や徳のある人、知恵のある人は受容するに値する情報を提供することができる。知恵には仏智、天智、人智などがある。表現する内容を発展させていくのはこれらの知恵である。科学技術の進歩は機械を進歩させ、いい物を作るが、表現する内容を進歩させるのは徳や慈悲なのである。仏の教えに十界論というものがある。これは瞬時瞬時の人の命が十の境界に移り変わるところを説いている。下地獄界から、餓鬼界、畜生界、修羅界、人界、天界、声聞界、縁覚界、菩薩界、仏界の十種である。地獄、餓鬼、畜生の三悪道には知恵はない。人、天、声聞と界が上がるにつれて高度な知恵が備わるのである。科学技術の発展とその発展に内容を与える徳や高度な知恵が伴うところに本当の発展はあるに違いない。高度な知恵を働かすためには修行が欠かせない。

2017年

10月

25日

チョコ12

10月22日に衆議院の解散総選挙が行われた。選挙当日には大型の台風21号が来ており、投票できるかどうか心配していた。選挙戦では与党はまとまっていたが、野党は分裂して戦ったので結果は与党の勝利に終わった。今回の選挙は解散理由がないといわれていたが、首相は国難突破の解散と銘打って解散し、選挙戦に突入した。選挙戦では国難ということが具体的な形で表に出てくることを期待していたが、国政の課題があいまいなことが国難であることが分かっただけであった。国政の課題として行われなければならないことはいろいろあるが、国難といえることは3点ある。まず、北朝鮮の拉致問題や核開発の問題、安保法制の問題、憲法9条の改正問題、などは最近はあまり使われない言葉だが、国防の問題である。更に、沖縄の米軍基地移設問題、竹島、尖閣列島、北方三島など日本の固有の領土問題を考慮に入れると日本という国の主権の問題でもある。次にエネルギー問題がある。原発ゼロが叫ばれているが、原子力発電を辞めて、需要のあるエネルギー量の確保ができる代替発電方法はどのようにするのかということも解決のめどはついていない。更に食料自給率の問題もある。減反政策もあって日本の食糧自給率は落ちてきていると思われるが、TPPなどの加盟によって安易に食糧の調達を外国に依存するとますます食糧の自給率が落ちて国の主権にもかかわるような事態に発展することもないとは言い切れないと思う。最近の日本列島は大きい地震や台風も多く気象条件も悪くなってきている。今年などは長雨が続いたり、急に寒くなったりして日本らしい四季の風情も失われつつあるように思われる。日本はこういった様々な国難に見舞われているが、乗り越えるべき国難は表に明らかにはなっていない。国難を乗り越えるには国民が万事滞りなく行えばよいというものではない。天の加護が無ければ国難を乗り越えることはできない。徳のない国や徳の薄い国を天は守らないのである。徳とは仏教で説く主、師、親の3徳である。国王や大統領や総理大臣に主徳があれば、大きい心で国民を包み、公正な国政をなし、外国にも堂々と対応できるのである。学問やスポーツや習い事において、道中慢心を起こして習いそこないになると師徳が伴わず十分な生徒の教導や後進の育成はできない。また、我が身を犠牲にして子を守る親の徳がないと、子供は親を敬わない。徳のない国は大統領や先生や親が敬われないので天はこの国を守らないのである。徳のない国は様々な国難に見舞われる。国民がさんざん力を尽くしても、天はこの国を守らないのである。

 

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